四手井先輩のブログに大賛成です。「北山の父」の表現は確かに私も誇大表現と思います。森本氏が言われた言葉ではないと思いますが、森本氏を取り巻く社会の方々(ある種の職業的集団)が「○○の父」とよく使う言葉です。
また、私が高校生の頃から北山の地名については、北山の会の大先輩達が採取したものや命名したものを誰かが無断使用して本を出版した話はよく聞かれた話です。
そのことは、北山の歴史の中でも汚れた一部ですが決して忘れられることはないと思います。
山登りは、誰が検証しなくても「登った」と言われればそれを信じる紳士の世界なのですからそれから外れることをすればそれなりの評価しか受けません。北山荘に行く途中に壊れた山小屋がありますが栄華盛衰を感じさせるのは私だけでないでしょう。その山小屋が全てを物語っているように感じます。
それより前に建った北山荘が現在でも多くの人々によって愛され守られ健在であることもそれを物語っているようです。
おっしゃる通り、京都には、北山問題より大きな「京都学派」という学会用語があるように京都独特の自然科学を基礎にした考え方の派がありますが、その原点は京一中を基礎とした北山を愛して登った「山登りグループ」(本当は北山の会の前身と書きたいのですが少し大げさになるのであえて書きませんが私は、それを作ったのは京一中山岳部の大先輩達)だと思います。それが脈々と現在の学問の主流になりつつあることは喜ばしいことです。
山岳史跡公園の構想は面白いですが、かえって自然が壊されたりしないかと思います。歩いてしか行けないところが年々少なくなっていますがそれがなくなるのではないかと心配です。北山荘も歩いてしか行けないし、トイレもないのがいいんだと私は思ってます。
北山の会の方々がもう一つ系列の方々と付き会おうとすればどうしても、北山の会を肯定しては行けない部分が出てくるのか色眼鏡的に見られることもあるように感じます。どちらにも引けないプライドがあるようですが、私は、北山の会のほうが正統派だと思ってます。向こうもそう思っているのでしょう。
お互いに融和の心がないとこの問題は解決しないでしょう。竹内氏もそんな風に思われて退会されたのかもしれませんが、年が経つと此の事も解かってこられると思います。その時は大きな心で迎えましょう。
洛北8期 太田 亙
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