石徹白の旅 写真物語
川井、中村、鎌田、四手井、上嶋以上五名、好天のもと、11月1日、勇躍山科を出発、福井より美濃街道を大野に向かう。経ケ岳、荒島岳、銀杏峰、部子山が見えれば、話題尽きる事なし。鳩ケ湯より刈り込み池の予定が、道路工事で鳩ケ湯でストップ、紅葉の上に、別山、三ノ峰が見えただけで、大満足。
石徹白川を遡る。今でこそ立派な道路だが、これが積雪期なら、さぞ大変だったろう。昭和34年に福井県から岐阜県に所属が移ったとのことだが、うなずける話だ。我々は、福井県時代に訪ねていたのだ。
石徹白に入り、先ずは上在所の白山神社だ。
古色蒼然足る大杉木立の中の神社のたたずまいは、清楚にして、真摯なる白山信仰の奥深さを感ぜずに居れません。
何とチュートンさんは、64年ぶりだとの事。檜峠より毘沙門を登って石徹白に入った由、中在所でばてて○○旅館に泊まったとか、神社の鳥居のここ(今は神社の駐車場になっている)に石徹白○○さんの家があったとか、何を食べたとか、64年前のことをよく覚えておられるのに驚くばかり。
都合よく向かいにその消息を知る人がいて、根ほり葉ほり聴く。詳しい内容は、チュートンさんの報告に譲ります。
翌朝、檜峠へ。毘沙門に登るべしが、ゴルフ場になっていて、ゴルフ場側と通せ、通さぬで押し問答 (後で下山者に聞いたら、回避道はひどかったとのこと)結局諦めて北側の水後山へ。スキー場を登り、後も快適な登山道,標高差500mをなんとか登り1586mの頂上へ。大日岳の頂上が見えないのは残念だが、晴天下、紅葉の石徹白、美濃の山々が見渡せる。それぞれ思い出す事多し。
後は一路下山。そして北濃、白鳥経由帰京。
それにしても、北濃より、雪道を歩いて、檜峠を越えて石徹白まで、よくぞ入ったものだ、と言うのが、皆の共通の感慨でした。
鎌田 記
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