また、また「皆子山」
また、また「皆子山」である。「もう、その話はええ、やめ―!」という声が聞こえて来そうである。我慢してもう1回だけ読んでもらいたい。北山に関しては、その登山史に最も深い関係のある「北山の会」が、すべてに応える義務と責任があると考えている。
「皆子山」の呼称について、先に横田和雄(京都山の会)の「京都府の三角点峰」から、西尾寿一同会会長の「みなご」説を紹介した。その後、西尾が日本山岳会京都支部報(No.13、1988年12月15日)に「『みなご』の名称について」を投稿しているのを思い出し、再読した。重複する部分もあるが、要点を以下に紹介する。
西尾の「みなご」説は主として塩田愛雄氏(1987年没)の「皆子の山名に就いて」を敷衍したものである。それによると、「ミ」は美であり「ナゴ」をナギやナコまたはナコソと捉え、語意を「美しい砂地の平坦地」と解釈する。その図式は以下の通りである。
◎ミ=「美」、美しい好ましい所
◎ナゴ・ナギ・ナカ=崖・浸食地形・焼畑であり、川の上流に広がる美しい白いガレの見える平地と解釈される。また、「ミナ」と「ゴ」に分離した場合、
◎ミナ=「水」「皆」「南」「蜷」
◎ゴ=「川・河」「郷」「興」「呉「牛・午」「胡」としている。
皆子山周辺でこれらに当てはまる土地は安全性、交通の条件、生産活動から考えて、安曇川筋の「平」しかない、というのが西尾の結論である。そして、やや唐突であるが、「平」が「美那古」の呼称であったとしても、十分納得できるという大胆な推論を展開している。「那古」は「和む」の意味であろう。
また、西尾は独自の調査から、鈴鹿の愛知川(神崎川)と安曇川の類似性に言及している。古来、地元では愛知川源流のことを「南川」(みなご)と呼んでいたという。南川とは、北流する川のことであり、愛知川と安曇川はさまざまな類似点があることから、安曇川も古くは南川(みなご)と呼ばれていた可能性があるという。
山の名称であっても、土地の人が山頂そのものの名を知らないことが多い。逆に谷の名は小さなものでも、よく名付けられている。それは、土地の人が「山地」全体と結ばれていても、必ずしも山頂を意識しているわけではないからである。従って、先駆的登山者は山頂付近の小字名か谷名を聞いて、次善の策として山名とすることになる。
この結果、「平」あるいはその上流の谷の名称であった「みなご」が山名として定着した、というのが西尾の結論である。命名者とされる今西錦氏は恐らく、地元「平」で山名を採録したと思われる。西尾の説をある程度裏付けている。
以上をもって「みなご山」の名称についての筆を擱く。なお、関心のある方には西尾の「『みなご』の名称について」のコピーを送る用意がある。
(四手井 靖彦)
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