2012年11月6日火曜日

地蔵山から竜ヶ岳へ直登横断        中村 淳


 友人に誘われて1025日にJAC関西支部の「ゆるやか山行」に参加しました。総員25名の大パーティー。最高齢者は83歳の宗實慶子さん、先頭のCL久保和恵さんの後に続いて軽がると急坂を登り降りする筋力に驚かされました。今もスキーを楽しんでいるとのこと。

 今回のルートを選んだ京都支部の平井一正さんとの会話の中で、今西武奈太郎さんやセキトン、チュウトンのニックネームが出て、気軽な話をしながらの山行となりました。
 
 
 ルートは、八木からバスで越畑に入り、西向地蔵へ直登して主尾根伝いに地蔵山947.6mに登る。次に反射板のあるピークから滝谷への急降下、谷を渡って今度は更に急勾配の登攀で支尾根に登り、東にルートをとって龍ヶ岳921mに至る。ここから芦見谷への降下は足場の悪い急傾斜を慎重に降り、首無地蔵の林道に出る。最後の降りは、先の水害で荒れた梨ノ木谷を下り、清滝までの約10kmのコースです。
 
 
 
 今回の山行は「ゆるやか山行」とは名ばかりで、いきなりの急坂で隊列が長くなり、先頭集団には長めの休憩が多くなりましたが、落伍者はなく全員でコースを踏破することができました。
 
柵沿いに登る
地蔵山頂上




竜ヶ岳頂上

 

 地蔵山は、中学3年の時に単独行で登って以来63年ぶりの思い出の山でした。頂上付近はあせびの潅木が茂り、熊笹に覆われた嘗ての姿はありませんでした。龍ヶ岳は2年前にアンチンと登った3度目の山です。今回の直登横断コースは初めてのルートでした。   


 
 
 
 
 

2012年10月31日水曜日

今年の紅葉は特に美しい!!  鎌田 克則


①上高地焼岳

 1014日(土)~15日(月)前夜中の湯に泊まり、快晴の焼岳(2,455M)に、新中の湯ルートより登った。何と63年振りの再登頂である。

 その紅葉は、本当に息を飲む程美しい。

 毎年国内外を問わず紅葉を追いかけているが、今年の焼岳の紅葉は、大雪の涸沢カナダetcそれと勝るとも劣らない。それに展望が良い。穂高、槍、笠ヶ岳、乗鞍等々北アルプス南部の山々が見渡せる。今年の紅葉は特に美しく、時期としては例年通りと思われる。

 
 
 
 
②秋の木曽赤沢自然体と御岳

 1020日(土)~21日(日)

 古い友人たちと赤沢に泊まった。寒かったが、紅葉は見事。滑の渓谷も美しい。トロッコ列車にも乗った。翌日、快晴の御岳田ノ原迄車で登った。やはり御岳は3,000Mを超える巨大な山である。
 
 

2012年10月26日金曜日

大江山・北山荘70周年記念 写真報告 鎌田 克則


104日(木)~5日(金)大江山

4日(木)昼前 中村、四手井(敬称略)鎌田3名 丹後太田邸に向かう。太田さんを加え、野田川駅で東京から来られた安藤さんを迎える。

 その後天橋立股覗き、丹後ちりめんの町他見学、太田さんの手配いただいた野田川ユースセンターで宴会後一泊。

 翌5日(金)好天。手配の車で大江山鬼獄稲荷神社より主稜に取り付く。大江山(832.5)鳩と峯、鍋塚と快調に縦走。鍋塚の北の鞍部やや下った池ヶ成公園に迎えの車が待機、すんなりユースセンターに戻った。

 太田さんの万般の手配で、全く快適な大江山縦走が出来ました。
 
天の橋立


何と雲海
せっせと登る
大江山山頂 なんとこの姿





 
107日 北山荘 70周年記念祝賀会

 

 当日三々五々小屋に集まり、チュートンさんが準備された祝賀会の記念の貼り絵、紅白の幕を掛け、同じくチュートンさんが下ごしらえされたおでんに、なごやかな雰囲気のなか、全12名舌鼓を打ちました。

 片や新たに囲炉裏の廻りが、レンガで見事に補修されており、槇も小屋の下手に屋根付きで積み上げられていました。感謝、感謝。

 70年後もこの様な立派な小屋が無施錠で現存する事は、やはり誇るべき事でしょう。先輩の卓見に感服する次第です。

 


 

2012年9月12日水曜日

8月25(土)26(日)北山彷徨(立命wv小屋泊) 鎌田克則

天気の良いし、それに車は人に貸して無い。直前に白馬大雪渓のTVを見て、白馬も良いなあと思った。しかし数少ない同行可能者に振られ、それなら北山を一泊二日で一人自在に歩いてみようと言う気になった。
さて北山の色地図を眺め、宿泊場所として百井青少年村を目したが、これ又満員で振られ、寝具等を持ちたくないので、わが立命wv小屋なら毛布等が豊富にあり、それと決めた。
すれば、雲取山、天ヶ岳、天ヶ森、皆子山辺りが射程距離に入る。それ等をNETから拡大地図を用意する。それと以前より飯盒と薪で炊飯、味噌汁、梅干等中心の所謂中・高校山岳部時代の再現を考えていたので、この際試みる事にする。それにかなり歩きそうなので、足裏にべったりガムテープを張り、足指にワセリンを塗ってみる。実際にはこれ等がヒット、懐かしい山旅となった。
25日)今日は芹生峠を越え、芹生、そして雲取山南の二の谷に入るだけである。ゆっくり出発。叡山電車で貴船へ。バスがあって貴船神社の手前までは楽々と行ける。但し人と車の多さに閉口だ。何故人は混雑する観光地を目指すのか。滝谷の分かれになるとぱったり人が居なくなる。
 芹生峠は覚悟はしていたが、想定以上に急坂で長い。一人黙々と登る。昔はこんなのは平地を歩くようなものだった。
 美しい杉林を下ると、芹生の部落。茅葺こそトタン葺となったが、ひっそりとした様子は今も昔も変わらない。

芹生の部落

  心細い勢竜天満宮横を通り、一の谷に向かう。北山の清流の美しさが一段と映える。二の谷に入り、通いなれたるWV小屋に着く。ここまで3時間10分、まあまあか。錆びたカウベルが気になる。今冬サンモリッツに行くので、大きな奴を買って来よう。
 小屋を開け、毛布を床に敷き昼寝をする。涼しくてそのまま・・。夕刻いよいよ炊飯に掛かる。薪もかまどの近くに適当にあり、燃やせる筈だが、私は下手。いつも上手な人が廻りに居たのだが今回は苦労する。
 3年程前亡くなったが益サンと言う元「わらじの会」のメンバーで、火を燃やすのが実に上手い男を思い出す。何しろ川に浸かった大きな流木でも燃やすのだ。それに彼は勿論沢登りが得意で、白神山地の赤石川とか北海道クワンナイ河等々、そして何と言っても、冠松次郎が、黒部の岩魚と双六谷の岩魚が行ききするという金木戸川、九郎右衛門沢を遡行した事が思い出される。双六小屋の小池潜氏が驚いた。
 何とか飯盒のご飯が炊け、味噌汁、梅干、塩昆布本当に旨い。そして涼しいので早々に寝てしまう。気楽なものだ。
26日)目が開いたら7時半。11時間ぐらい寝た勘定。自然の中で寝るとこうなるのだ。昨夜のご飯の残りに水を入れ、おかいさん。お茶漬けのりを入れれば上出来だ。ヒマラヤトレッキングを思い出す。 
何もせかされる事がないので、出発は10時。あっさり雲取山は諦め、一の谷経由寺山峠に向かう。
  峠を下り途中、右側に昔懐かしい花背のスキー場跡がある。中学、高校時代何度来た事か、そして花背小学校、なんと閉校している。
 車道を渡って一寸クランク、和佐谷に入り和佐谷峠を目指す。下部は何か施設があるらしく道は立派ながら、上部は伐採のよって道が消えている。昔は生活道でも今は利用がなければ道も消える。持ち前の読図力で峠へ。ここは花背峠より大見、尾越に通った道だ。一寸北に振って東方向、百井を目指す。下っていくと百井青少年村である。なかなかの設備。以前誰も居ない時、キャンプしたことがある。夏休み時分だけに盛況のようだ。時期を外して利用したいものだ。
 百井は中学,高校山岳部時代,そして北山クラブ時代よく通過した。その昔、大火事があって殆ど燃えたことを思い出す。

神社の前で休んでいると暑さもあって、これから天が岳を越えて,尾根通しに鞍馬に向かう意欲減退。鞍馬街道百井別れを3時過ぎ通過するバスを思い出す。誰も相談する必要がない。あっさり百井別れの向かう。車道に拘わらず細くて登り降りがきつい。但し美林が続く。如何にも北山である。
友人の別荘があると聞いているがどの辺りか。そしてバス停。314分京都バス。懐かしい街道を、涼しくてうとうとしているうちに出町柳へ。改めて北山を自分なりに歩いてみようと思う事しきり。
 
百井峠付近

2012年9月11日火曜日

2012年8月  シニアのスイス滞在お役立ち情報 鎌田克則

夏にスイスに滞在するのは確かに快適である。何と言っても美しい。それに涼しい。欧米人がバカンスと称して海や高原に長期滞在する気持ちは解る。余裕から生まれる文化なのだ。こちらはそんな余裕もないが一寸真似てみたい。
懇意にしているヒマラヤ観光の大島さんより、スイス・ウエンゲンに週単位のシャレーが空いているとの報せに二つ返事。安い飛行機を頼むと、ハイシーズンながら81日行き、13日帰りが一番安く、カタール航空でALL込み、14万円。それにシャレー8泊(自炊)6万円、他にルッツェルンホテル、2泊、スイスパス15日分など手配頂いて25万円程,これはシメシメ。
ウエンゲンは数年前1週間程滞在してスキーを楽しんだところで、要領は解っている。ユングフラウに一番近い静かな村。グリンデルワルト、インターラーケンにも近く、鉄道で繋がっていてすこぶる便利。

スイスは、日本の九州より一寸大きいぐらいとか言われる国で、その一地方に2週間近くも居れば、加えてスイスパスがあれば、大抵のところに行ける。さて、あっちに行った、こっちに行ったの話しは、観光案内を見れば解る話なので、年寄りのやや長期滞在型旅行ついての参考になりそうな体験話を記してみます。

1)宿だけ決めて、行く先は現地で決めるのはすこぶる自由度が高い。それだけに人数が多いと意見が分かれる。少人数、出来れば夫婦、カップルが良い。それにシャレーは自炊だから、女性の参加は有り難い。
2)スイスパスは安い上に実に有効。鉄道(特別の○○特急は除く)、汽船、バスは乗り放題。登山電車、ロープウエイ等は50%~25%引き。となると気兼ねなく何処へでも行ける。特急列車や特に美しい湖上の船は素晴らしい。行きは船、帰りは鉄道とか、それにポストバスを使うとか。(今年はユングフラウ鉄道完成100周年記念で特別切符があり、有効に使った)
3)シャレー(炊事用具他暖炉の薪までセットされた完全設備のアパート)で無いのは、食料のみ。調味料も大概残っている。よって毎日帰りの駅前のCOOPで好きなものを買って、簡単に手を加える。どうしても、肉、野菜、パン等になる。アルハー米を持って行ったが、米、うどん、ダシの素、きゅうちゃん漬け,お茶漬けの素などは実に有効。衣類は夏で軽いのだから持参するに限る。
4)言葉と食事 基本的にはドイツ語のようだが、英語が通ずる。勿論べらべらの人もいるが、そもそも欧州人は正式に英語を習わないようで、(我々が韓国語を習わないように)必要から覚えるので、まあ我々より少しまし程度、お互いに相手の顔を見ながらゆっくり話すから、必要な事は大抵通ずる。それになんたって観光国。元々親切な人達でマナーも良い。
当方まあ中学2年程度ながら、ボディランゲージと度胸で余り不自由しない。ただレストランを予約したり、メニュウで注文する時が一番困る。
それで朝はCoopのパンに飲み物、昼はロープウエイの駅のレストラン等、夜のディナーは出来るだけ避けた。止むを得ない時は、黒板にメニュウらしきものに、値段の書いてあるお勧めメニュウを指差す。それでも注文困難時は、周りの食べている食事の良さそうなのを指差すとか。但し大抵量が多いので、一人前を二人で分け、飲み物だけ人数分だけ注文する。それに駅のファーストフードとか、ラップで捲いたサンドイッチとか。本音を言えば、これまでヨーロッパアルプスでそれ程美味しいと思った料理はない。
夜は専らCoopで買った肉と野菜とビールかワイン。日本から持って行った簡易食料は、日本で食べるより美味しかった。
その他)お金は、現金は一人当たり2万円程度、後は全てカード払い。僅かな金額でもカードOK。安全でレートもよい。
衣類も重ね着が出来るもので、同じレベルのものは持たず、下着も2セットぐらいか。あまり汗もかかず,洗濯は簡単に出来る。ただ外に干せないので乾きが悪い、出来るだけ化繊の衣類が良い。
写真は美しい景色が多いので、メディア、予備のバッテリー、それに充電器も。又国際用の携帯電話は安心できる。
気候は全く快適。概ね22度前後か。夜は寒いぐらい。湖岸に水着で日光浴をしている人を見て、今が夏だと思い出した。
交通機関で、特に登山列車も色々あり面白い。蒸気機関車もあり、どれも信じられない程の坂道を登る。料金は一寸高いがお勧め。
それにやはりユングフラウヨッホも行くべき。行く度に新しい設備や、出口が出来ていたり、氷の殿堂も広く多彩になっている。天気の良い日を選んで、朝早くか、夕刻、半日ぐらい掛けてゆっくり楽しむべき。
案内書はやはり「地球を歩く」を使った。特に小さな字で投稿してある所を訪ねたら、お勧めどうりで、なかなか優れもの。
それと韓国人、中国人の団体観光旅行者が多く,喧しくてマナーも悪い。以前は日本人もそんな事だったろうとは思う。何とか彼等と一緒にされない様にすべき。「ジャパニーズ?」と聞く人が居る。やはり明らかに区別されているようだ。

以上だが、要は歳をとるとこのような旅が有り難いと思う。本当に楽しく、印象深い旅でした。最大のエキスは、誰と行くか。やはりカップルが良い。出来れば最愛の人と。

 

2012年8月29日水曜日

サンモリッツ・スキーのお誘い 鎌田克則

この暑い最中にスキーのお誘いとはどうかと思いますが、こういう事は早いほど有利。計画は密なるを以って良し。それと早い決断です。
 さて来年凡そ1月13日頃より21日頃に掛けて、サンモリッツにスキーに行きます。今更申すまでもなく、サンモリッツは第二回と五回の冬季オリンピックの開催地、素晴らしいスキーリゾート地です。宿はクラブMED。もうヨーロッパのクラブMEDに4箇所行っており、これで5回目。一緒に行った人も多く、毎回皆さん大満足。スキーとはこんなものだったのか。その楽しみ方,滑降距離、標高差、アフタースキー、何もかも豪勢で徹底しております。まず食事三食バイキングながら豪華。それにワイン、ビール、カクテル飲み放題、夜はショウもある。一週間リフト券付き、それにフランススキー学校出身のインストラクターがレベルに応じてぴったりガイドしてくれるのです。年寄りはそこそこ適当にやることも可能です。セガンティーニ美術館とか。
 それに安い。今回はスイスフランながら、概ね滞在費1週間115,550円、飛行機エミレーツで12万円ぐらい、他の交通費用他入れても25万円ぐらいか。今回は行きか、帰りに希望者あれば、トンボ帰りでは勿体ないので、荷物は空港に送っておいて、軽い荷物で何処か1~2泊見物しても。
 これまで毎回お世話して来ましたが、日本のクラブMED代理店の対応の悪さに業を煮やし、スイスと日本の旅行業者に頼んだ所、やっと日本ルートで情報が入ったのです。それで二人部屋を4~5部屋押さえてお誘いします。
既に4,5人程希望を聞いておりますから、後3~5人受けられます。
可能性あれば、即連絡下さい。キャンセルは1ヶ月前まで可能です。ただし人数が奇数になるときは、少々無理申すかも知れません。このお誘いは9月初旬締切とします。人生は短い。スキーを存分に楽しみたければ即連絡を。

2012年8月26日日曜日

ご無沙汰しています

北山の会の皆様
 ご無沙汰しています。春から体の回復は順調になり、6月から散歩という名のトレーニングを始め、1回10キロの歩行と、169メートルの小山に登ることを始めました。これを数回こなしたところで、大学山岳部OB会から連絡があり、美瑛岳遭難から50年になるので、今夏、追悼登山会を行い、一つの区切りとしたいとの召集令状が届きました。この会にはどうしても行きたかったので、主治医と山の神様、家族に三拝九拝し、懇願して許可を得て、北海道行きのフェリーに乗ることができました。
 美瑛岳の麓の白銀荘には予定より1日早く入り、同年の友人と足慣らしに十勝岳に登り、次の日の追悼登山に備えました。少し歩いていたのでか、当日は、心配することなく皆についてゆけてホッとしました。40年ぶりに学友や後輩たちとも会えて悲しいはずの会も感激の深い登山会になりました。私の卒業した大学は、小さいので、山岳部も現在はほとんど活動もなく、部員も一桁が続いている現状だったので、大学で、担当教授に山岳部の活性化を話をすることもできました。OB会では、体も心も、お金を出してでも山岳部の活性化を支援してゆこうと確認することができました。その中で、某有名大学の山岳部でも、訓練する指導者が不在なのでプロのガイドなどをお金を払い指導してもらっている話や、昔の伝統を現役の学生にOBが話しても、やらせても、今は通用しない。などの話がされて、山岳部も新しい運営方針で、現役の学生達のリクエストを満たす運営をOB会が支援することが重要だとの結論になりました。山岳部の考え方も随分変わって来ているようです。
 その中で嬉しかったのは、洛北高校山岳部出身のOGがいてくれた事でした。彼女は宮内(旧姓??)光さんで、今は上士幌町に住んでいるとのこと。もちろん私とは20年以上年齢も違うので面識もなく、初対面だったがこんなところで会えるのは奇遇だとお互いによろこびました。北山の会のブログのことや、メーリングリストのことも話しておきましたので、その内に彼女からの書き込みがあるかもしれません。
札幌では安藤先輩と愉快な奥様にもお会いでき美味しいお寿司を御馳走なり感激でした。
 
 
 北海道で洛北山岳部のOBに二人も会えるなんてなんと素晴らしいことと思ってます。
 
 これから、秋にかけて少し山歩きをしたいなと思っていた途端に夏にはしゃぎ過ぎたのをお盆で帰ってきた御先祖さまにたしなめられたのか、14日のお墓参りの途中の階段で滑って転び、背骨と右股関節を強打し通院する事態になってしまい、現在安静中です。蒲田さんにお誘いいただいていた中国の旅は、この体では参加できそうになく残念です。
洛北8期 太田 亙

2012年8月21日火曜日

北山荘に集まろう会(報告) 川井久造記

2012年4月29日(日)快晴 気温14~28℃
参加者:川井久造、中村淳、仲田道彦 3人

 年度はじめの行事として、会報に予告しているが、参加者は、3人であった。
 GWのはじまりで、みなさんの予定があったのだろうか、登ってくる人は誰も来なかった。
 雲ヶ畑行きのバスが廃止となり代行会社のジャンボタクシーが一日1回往復していることを知り、当初はこれに乗る予定であったが、幸い仲田君の車になって、出合橋から延々と歩くことなく幸いした。
 青空のもと気分爽快。アズキ坂を越え、いつものように渓流に沿って行く。足元にクリンソウの若葉が出はじめ、芽吹いたばかりのミドリは早春の薫風の風情。クマザサの枯れ野の奥に小舎が見とおせる。誰も来ていない。
 昨年は18人の大勢だったのに、今日は3人だけで焚き火を囲む静かな一日となる。
 去年の台風で倒れたオオヤマザクラは再起し、満開に出合うことができた。小舎帳には根付きを心配して何度も確認に来た記録があった。小舎の周囲の整備、薪置き場が移動され、水場の手直し、また新しい樅材の座卓が置かれていた。
 多くの有志の賜物に感謝しながら2階の窓から見通せる谷筋に人が登って来ないか眺めていた。
 焚火を囲み、ここに集まった昔人のことを想いながら、谷川のせせらぎを枕にして小舎の一日を堪能した。        (川井久造記)

2012年8月17日金曜日

播隆上人はアルピニストだった


 18世紀にヨーロッパで近代アルピニズムが興る前、人々にとって山岳はどういう存在だったか。聖なる信仰の対象だったのだ。雪や氷をまとい、人を寄せ付けない急峻かつ高き嶺は畏敬の念を呼び起こした。人知の及ばぬ所にはすべて神がおわすのだ。これは洋の東西を問わない。モンブランも富士山も白山も信仰の対象であり、恐れ多い山であった。

 だから、最初に山へ足を踏み入れたのは、ぼんさんだったのではないか。明治39年、陸軍参謀本部の陸地測量部が地図作成のため、未踏峰とされていた剣岳に登ったとき、頂上に奈良時代の錫杖があったことは、新田次郎の「剣岳点の記」などでよく知られている。アイゼンやピッケル、ザイルといった近代的登山用具のない時代に剣岳に登るのは、よほどの苦労だったに違いない。信仰という強い信念があればこそだが、そこに、近代アルピニズムの萌芽を見ることはできないか。



槍ヶ岳の開祖と言われる播隆上人(17861840)が、日本初のアルピニストではなかったかと考えている。浄土宗の僧であった越中の人播隆は、笠ヶ岳の再興者であり、槍ヶ岳の開祖ということになっている。笠ヶ岳の開祖は円空ということであり、再興者ということは、それに登路をつけたということだろう。

 笠ヶ岳に登って槍ヶ岳を見たとき、次はあれに登ろうと決心したという。播隆の心を動かし、さらなる登行意欲を沸き立たせたのは何だったのか。むろん、信仰心もあっただろう。だが、信仰心だけがモチベーションなら、なにも槍ヶ岳に登る必要はない。笠ヶ岳に何度も登ればよいのだ。播隆にとって槍ヶ岳でなくてはならなかったのは、それがより高く、困難であり、より未知な山だったからだ。それはアルピニズムの精神でなくて何であろうか。無自覚であっても、近代アルピニズムの精神が内在していたと思われる。

比叡山に千日回峰という荒行がある。7年かけて1000日の行に服する。130キロ歩くとか。あまつさえ、9日間の断食、断水、不眠、不臥など、信じられない荒行である。肉体を酷使することで精神の浄化を得る、世俗を超えた世界に入る、という論理は納得できないことはない。だが、肉体を酷使することと、高き、未知なる頂を目指すということはまるで違う。宗派も違うが、仮に播隆が天台宗だったとしても、千日回峰のようなアホなことは絶対にしなかっただろう。彼の精神をゆり動かしたのは高き、未知なる頂だった。播隆は宗教人であると同時にアルピニストだったのだ。


一つのアルピニズム精神が導かれる。まず、無欲であること。そして、初登山から得られる精神的充足感、未踏の地へ到達、そこで体験した知的充足感以外、一切の実利がないことである。人跡未踏の地には何があるか、それを探るのは知的好奇心である。登山が知的行為であるとされる所以である。

四手井 康彦 2012.08.17.   

2012年8月1日水曜日

旅行の楽しみ           鴨6 鎌田克則

 たまたま今秋アルタイ、天山の方に出かける予定ですが、同行する友人より、中央アジアに関する古い本を、読んどいたら良いでと3~4冊持ち込まれました。なかなか読めなくて、取りあえず各本の「はしがき」と「あとがき」それに著者の経歴だけを目を通しました。 そのなかに「ユーラシア手帳」加藤九祚著のあとがきに、次の言葉がありました。

 11世紀ペルシャで描かれた教訓書カブス・ナーメに、「もしも君に資力があって、しかも旅に出ないならば、それは君の富から充分な恩恵を得たことにならないだろう。この世の富から得る充分な楽しみは、見なかった物を見、食べなかったものを食べ、見つけなかったものを見出す事であり、これが出来るのは旅においてだけである。旅をして世界を見たものは、経験に富み、成功しやすく、賢明である。なぜなら、彼等は見なかったものを見、聞かなかったことを聞いたからである。話を聞くのと自分の目で見るのとは違うのだ。」
とありました。何しろ11世紀の事ですから、旅に出られるのは、当然資力のある人しか出来ないことだったでしょうし、情報のない時代でしたから、旅は実利的にも有用だったでしょう。

 しかし現在通常の生活で、一寸切り詰めれば、旅する資金は出てきますし、情報も溢れています。BS放送旅行番組を見れば、行った気になれます。それでも現実に行ったのと、TVの画面で見るのとはおお違いです。

ずばりペルシャの賢人は、それを素直に云い当てていると思いました。

             今夕スイスに出かける直前の空き時間に。 

2012年7月23日月曜日

北山の会 鎌田克則

北山の会

2012..23
いよいよ暑い夏が来ます。
北山の会のブログ、最近投稿がないので、写真中心の近況報告します。
新しい車を手に入れて、年甲斐もなく走り廻っている次第です。

2012..2~3 白山一里野温泉~スーパー林道~白川郷
白山一里野温泉は関西からの近く、白山岩間温泉の湯を引いており、本当の温泉です。
一里野温泉に泊まると白山スーパー林道の片道無料券をくれます。     それに7年ぶりに開業した山崎旅館に泊まりました。   

←山崎旅館より楽々新道を1時間程歩いた、全くの野天風呂です。
 

     
白山スーパー林道あの舵谷に流れ込む、姥ヶ滝→
                 
↓スーパー林道より見た白山北面
                        ↓白川郷の一部





2012年7月14日~18日 飯豊~西吾妻~裏磐梯~奥日光~諏訪

 北陸道一気に北上、新潟抜けて荒川胎内より飯豊山荘へ。一部雪で屋根が潰れていたが本館は快適。
先ず、周囲の原始林が素晴らしい。特に御身平周辺の遊歩道。
       山荘付近の原始林             飯豊山荘

石コロビ沢の下流なので、雪渓の冷たい水が温かい空気に触れて霧発生。全くの涼風です。

米沢盆地を抜け、この5月連休、白布温泉に泊まって、天元台より西吾妻で山スキーをしたその西吾妻を見ながら、白布峠、裏磐梯山を眺めながら桧原湖、会津若松城をチラッと眺めて、あのイサベラバードが、従者一人をつれて馬で北上した会津街道を南下。いろは坂、中禅寺湖そして奥日光へ。
  やはり「日光を見ずして結構と云うな」の言葉を実感する。
奥日光国民休暇村の雰囲気、それに湯ノ湖、湯滝は素晴らしい。

奥日光湯滝 後ろは男体山

                 梅雨の水の多さも手伝って、ド迫力。特に滝と云うより、45度ぐらいの岸壁を流れ落ちる所が素晴らしい。カナダ、ロブソン上部に同様の滝があり思い出した。
      
湯滝
沼田~回阿山~鹿沢~霧ヶ峰~諏訪湖~御岳~刃物の関市で家内用の包丁を買って帰阪。
さすが切れ味抜群。家内いと機嫌良し。

 



 



2012年6月7日木曜日

北アの展望台「十石山」に登る

 54回東西合同が62日~3日に名古屋主催で行われた。62日の集合場所は白骨温泉「ゑびすや」。17:00の集合時間までに東京10名、名古屋9名、大阪13名の計32名が参集した。
 早速、白濁した名湯につかり、明日の標高差の大きい健脚コースを想い、山の鋭気を体内に取り込んだ。19:00からの懇親会では、酒を酌み交わし談笑のひと時を過ごした。飲酒もほどほどに起床までの睡眠時間を計算して中座し、早めに床に入った。

健脚コースは、早朝4:45に白骨温泉を出発し、登山口から十石山までの標高差1050mを、登り4時間、下り3時間でピストンする。その後温泉で汗を流し、17:53に松本駅で解散する。このコースに女性1名を含む8名が参加した。

63日、4:45に白骨温泉を出発して林道沿いに1時間歩いたが、登山口への分岐点を見過ごし、5:50に引き返し、6:10に標高1475mの登山口に着いた。6:20登山開始、計画より35分の遅れとなった。
道は、落葉松と笹の茂った急斜面をジグザグで登る。落葉松の新緑が美しい。7:00に標高1700m地点を通過、ここから約1kmは針葉樹林の緩傾斜面だ。点在する残雪を踏みながら、再び急斜面に取りつく。
残雪が一面に広がり、標高2000mで軽アイゼンを装着する。パーティーの中で1名がウオーキング靴を履いていたため、8:25に標高2100m地点でリーダーが彼のこれ以上の登攀を不可とし、他2名が付き添い下山した。これはリーダーから事前に配布された計画書を読まずに参加した装備不足に因る。

残る5名はリーダーの歩調に合わせ、黙々と頂上を目指した。徐々に針葉樹の数が疎らになり、視界が広がってくる。9:35に標高2390mの樹林帯を越えたところで小休止、行動食を取りエネルギーを補給する。
ここから先は急傾斜の雪原が広がっている。頂上を左手に見ながら、右方向に直登すると眼前に避難小屋が現れた。10:06に小屋に着く。小屋右手の石垣を攀じ登ると広場にでる。ここが十石山の展望台だ。だが残念なことに眺望がない。山頂へは小屋から左へ、切れ落ちた路肩に注意しながら進む。10:20、ハイマツに覆われた十石山2524.8mの三角点を踏む。登頂に4時間を要した。


十石山頂上 右手に避難小屋が見える

小屋に戻り、休息をとる。雨が降り始める。エネルギーを補給して11:20に下山開始。雪原の下りは楽だ。グリセードのようにどんどん体が前へ行く。残雪が消えた後もアイゼンを履いたまま降る。ノンストップで一気に下山。登山口に12:50着、実に1時間30分で降りてしまった。


このパーティーの平均年齢は65.6歳だ。リーダーは63歳、JAC関西支部で活動している。女性の井澗奈津子さんは現役の100kmランナーだ。最年少は56歳、最高齢は小生79歳。昨年の西吾妻に続いて今回もリーダーのピッチに合わせて快調に登降し、ラストを務めることができた。感謝あるのみだ。
 帰路、林道のアスファルトが足に響いた。バス停近くの「煤香庵」の露天風呂は素晴らしかった。新緑が溢れる中で汗を流し、地ビールを飲み、ざるそばを食べて、帰路に就いた。
中村 淳