2015年6月23日火曜日

十三石山登山記       中村 淳

 
山と渓谷社「京都府の山」を何気なく開いたページに十三石山の案内があった。明日の天気は晴れということで、この山に登ることにした。この山は、京都一中山岳部の山城三十山の一つだが、まだ登っていなかった。

 622()、北大路バスターミナルから鷹峰原光庵前で下車、8:02急坂を下り、長坂越の坂を上る。道の両側に北山杉の美林が広がる。

長坂越に入る
鷹峰からの車道に合流
8:50鷹峰からの車道に合流、少し歩いて京見峠茶屋に着く。京都側の斜面の樹木が大きく成長し、かつての大パノラマ眺望は今はない。この茶屋には、父が82歳で徘徊を始めて頃、家の前でタクシーに乗り、この茶屋でお茶を飲みながら眺望を楽しんでいた処だ。

茶屋は閉店 眺望はない
 8:55京見峠着、この先で車道は左へ曲がり、杉坂へと下る。9:03氷室別の分岐点だ。

樹木が茂り、眺望はない

車道がやや狭くなるが、氷室へ進む。9:10氷室集落の手前に氷室神社があり、参拝する。

氷室神社
神殿に参拝
 道が突き当たるところにお地蔵様があり、お参りする。道を右へとり、9:42左折し十三石山への登山道に入る。一本道で迷うことはない。9:53満樹峠、「100m先に展望台がある」との表示に従い、展望台へ行く。ここは遮るものがなく、大パノラマ眺望を満喫する。

眺望を満喫
直進して山頂へ
 峠へ戻り、一気に山頂へ進む。山頂直下、直進する道から右に進むと、眺望のある頂上だ。10:23登頂。三角点の東南方向に広場があり、両側の樹木でやや視界が狭くなっているが、京都の市街地を望むことが出来る。



三等三角点がある

標高は495.5m

両側の樹木で視界が狭い

 月曜日だということもあり、ここまで、登山者に出会わない貸し切の山だ。少々時間が早いが、ゆっくり昼食を摂る。地図を観ながらアイディアが浮かんだ。頂上から我が家までの直線距離は6300mだ。そうだ、我が家まで歩いて帰ろう。

 10:52下山開始。満樹峠を少し下った処で,簡易舗装された林道に出会う。当初は氷室までバックし、盗人谷を下り、山幸橋へ出るつもりだったが、気が変わり、この林道を下ることにした。

林道を下る
 ここから忍耐の歩行が始まったのである。問題は、我が家までの距離ではなく、舗装道路上の歩行なのだ。そもそも登山靴は山を歩くための道具で、タウンシューズ兼用ではない。足首を緩めて、スリッパでの歩行を試みた。楽になった。
 

雲ヶ畑街道に出る

 11:30雲ヶ畑からの道に出る。ここから柊野までが長かった。鴨川左岸を南下し、13:12上賀茂のローソンでコーヒーブレークの小休を取る。残り少々の距離もスリッパ歩行で、一歩一歩の忍耐の根競べで、13:57我が家に帰還した。

中村 淳

2015年6月17日水曜日

天王山登山とサントリービール

                                   中村 淳


天王山は、京一中山岳部の山城三十山になく、部活としては山行の対象とならなかったが、長年に亘り麓を走る通勤列車の窓から「天下分け目の合戦」の舞台を眺めていた。

この山に登ろうと決めたのは、宝塚歌劇を観た後、阪急宝塚駅のラックにあるパンフレットの中に西山天王山を手にとり、案内を見たときだった。

パンフレットには、駅→1,400m 小倉神社→1,400m 見晴台→1,200m 天王山山頂
300m 酒解神社→200m 十七烈士の墓→100m 旗立松展望台→2000m ねじりまんぽ
1,400m サントリー京都ビール工場がゴールだ。最後にビールが飲めるのだ。

615()、軽装で阪急に乗り、西山天王山駅で下車、10:00に出発、住宅街を西へ進み、小倉神社10:20、この神社は、奈良時代に農耕の守り神として創建された乙訓地方で最古の神社。平安遷都後は、東北の吉田神社、南西の小倉神社と、京を守る鬼門除けの神社だ。
小倉神社

境内左の登山道に入る。山頂まで2,600mの登りだ。所々に案内板があり、「山-1」から順に「山-10」が天王山頂上だ。「山-5」に11:00 寒暖計があり、気温28Cだ。

涼しい山道を辿る

ここから頂上まで1.5kmの登り、軽い歩調でぐんぐん登る。人の気配が多くなると、道は広場へつながり、天王山頂上11:20だ。南寄りの小高いところに標柱「天王山頂上」がポツンと立っている。広場周辺は樹木で、展望はない。ここで昼食を取る。

頂上に立つ


頂上を10mほど下がったところに、秀吉が掘った4m四方の井戸がある。ここを掘って水が出たのか。それとも谷から水を汲み上げたのだろうか。

秀吉の掘った井戸

12:00 頂上を出発して、大山崎へのダウンヒルが始まる。足の指先を痛めないように、靴紐を強く締める。頂上を起点に道が網の目のように四方に広がっている。どの道か少し迷ったが、道標を確認し、300m先の酒解神社に着く。この神社は、厚さ14cmの板を積み上げた板倉建物として最古の物だ。

次に本日の目玉「旗立松展望台」へ降る。ここは秀吉が見方軍の士気を高めるため、千成瓢箪の旗印を挙げ、勝利を収めた所。眺望が良く、その景色は「京都の自然二百選」に選ばれている。
旗立松展望台

一気に山を下り、西国街道12:48着。どうやら下山できたが、山登りにウオーキングシューズを履いてきたが、靴底が薄く、足の裏が痛い。これは失敗だ。いくら軽装とはいえ、このような靴を履いては登山できない。

この後は、西国街道をとぼとぼとゴールのサントリー京都ビール工場を目指す。時間が早いので、途中の喫茶店でコーヒーを飲み、時間調整する。


14:45 サントリー見学受付、15:00 工場見学、最後はビアホールで出来立てのプレミアムモルツをたっぷり3杯いただき、最高のエンディングとなりました。

プレミアムモルツは最高!

追記:登山靴 mont-bell AULE 27 を買いました。もう大丈夫です。


北山の巨大スギ林



鍋谷山(859m,小浜)、井ノ口山(779m,小浜)

西邨顕達

今回の山行は頂上に登るだけでなく、近くにある有名な巨大台杉林を見ることであった。計画を具体化する段階で、片波川源流には樹齢1000年を越す北山最大の台杉とそれに近いサイズの台杉の生息地が2つあることが分かった。1つは片波川林道上部東側にあり、京都府の管理下にあるもの、もう1つは井ノ口山の東側の個人の所有地の中にある。これらをぜひ見たいと思った。
この報告を書いている時に初めて気づいたのだが、多くの山行記録や昭文社発行の地図「京都北山」と違って、洛北高校山岳部の「北山50山」のリストに鍋谷山はあるが、井ノ口山の名はない。また、鍋谷山の高さは779mとなっているが、これはすぐ東にある井ノ口山の高さである。なぜこういうことが生じたのかという論議はおいて、ここでは山の名前と高さは一般的な見解に従っておく。
この山行のプランニングの過程で現在ほとんど完成している「丹波広域基幹林道」の存在を知った。これは船井郡京丹波町下山から京都市左京区花脊大布施町まで、 京都府の中央部を東西に横断する全延長65km林道である。林道といってもトラック2台が余裕をもってすれ違え、完成時にはすべてアスファルト舗装になるという豪華なものである。この林道にもっと小さい林道があちこちで連結している。これらの林道を利用すればずいぶん効率よく頂上に行けると思われた。

月日・天気
201567日(日) 終日晴れ   
最初の予定ではこの翌日に行くはずであったが、天気予報を見て当日朝に変更。変更してよかった。

同行者
四手井靖彦、倉橋和義

行動記録
二軒茶屋自宅(10:15)→花背峠→大布施→片波→最初の林道崩落地[車デポ](11:10-15)→駐車場(1130)→台杉群観察地・上の入り口(1155)→広域林道分岐(12:40)→鍋谷の尾根への緩い谷[昼食](c1300-25)→鍋谷山の尾根への取り付き(1339)→鍋谷山頂上(1357)→井ノ口山頂上(14:35)→広域林道(16:26)→倉谷林道分岐(16:38)→片波林道分岐(1722)→駐車場(18:07)→[車デポ](18:20)→二軒茶屋自宅(19:10

ノート
   四手井が修学院で倉橋をピックアップし、二軒茶屋で私を拾ってくれる。二軒茶屋を出たのは10時をまわっており、最初の予定より2時間以上遅くなった。当日になって急に行くことにしたのだから仕方がない。花背峠→大布施→片波町と車で順調に来る。その先1㎞弱で道は2つに分かれ、左(西谷)に入る。

 実線+矢印:車による移動  破線:徒歩  太い緑色の実線:広域林道

東谷との分岐点から1㎞ほどで林道は2つに分かれる。私たちは右(北)側の方に入る。1㎞も行かずに道路の上側斜面が崩壊しているところに着く(1110)。道路の上には大量の土砂が堆積し、大きなナラの木も転がっていて、もう車では進めない。後は徒歩で行くことにする。
 
15分で大きな駐車場に着く。道路さえよければ一般車もここまで車で入れる。ここの東側から台杉群の生息地が始まる。林道を歩いていくと15分ほどで台杉群の生息地の案内板に着く。ここは台杉群・生息地への入り口だ。中に入りたいが時間がないのでまたの機会にする。車をデポしたところからここまで斜面崩壊による砂が路上に堆積して車の通行が不可能なところは45地点あった。






 一般公開台杉林入り口を過ぎると道はよくなった。20分ほど歩いたところで、軽トラ2台に遭う。以下はそれに乗っていた二人の男性から聞いた話である。京都府に頼まれて台杉林の監視・管理に来た。京北から来たが、片波林道の下の方は通れないので、大布施から広域林道に入ってここに来た。片波林道が荒れたのは一昨年の台風18号の時で、この林道は京都市の管理するものであり、京都市は金が無いのでなかなか修理しない。

 
広域基幹林道の一部。幅が広い。完成すればアスファルト舗装になる。
広域林道に入ると道路右(南)側にシャクナゲの林が現れ、200300m続く。5月の連休に来たらさぞきれいだろう。林道が鍋谷山の尾 根に近くに迫り、広く緩い谷の入り口と交わっているところで昼食。その先、尾根との距離はもっと近いが、傾斜はもっと急なところから尾根に上る。尾根には あまりはっきりしない踏み跡があり、それを東に辿り、鍋谷山頂に着く。ここは三角点が無く、見晴らしはよくなく、場所も狭くて長居したくなるような場所で はない。

鍋谷山頂


   

                              井ノ口三角点

 鍋谷山から東はしっかりした尾根道があった。それを経て井ノ口山に着く。途中間違って北に延びる支尾根に下りかけることが2回あった。ここの三角点はピークでなく、比較的平らな尾根の上にあった。東側には数10本の巨大台杉があり、それらは杭とロープで囲まれていた。撮影・見学の後、東に下りる。倉橋がそちらの方から広域林道に下りたことがあるというので彼についていった。しかし林道の壁の傾斜は急であり、下り口もなかなか見つからず、全員が林道に出られたのは、井ノ口山を発ってから2時間近く後であった。それからてくてく1時間余り林道を歩き車のデポ地点に着く。以後無事に帰宅。



井ノ口山巨大台スギ群






台杉について
北山丸太(=磨き丸太)にするアシウスギは現在11本植え、それを切り倒して皮をむき、磨いて商品にする。ところでアシウスギには幹を切ると地面に近い側枝は幹のようにまっすぐ育つ性質がある。かつてはこの二次的にできた幹を丸太材に育て、早く大きくなったものから順に切ることが行われた。この方法だと、1本植えに比べて植える手間が省け、より小さな面積で同じ本数の丸太を作れる。なぜこの台座仕立て廃れたのかはわからないが、この日見た巨大スギは放棄された「台」スギなのだろう。

目についた植物
ブナ、ミズナラ、クリ、ウリハダカエデ(多)、ホウノキ(花ほとんど落ちる)、ヤマボウシ(満開)、ウツギ(満開)、シャクナゲ、タラノキ、スギ、ヒノキ(少ない)、モミ(意外に多い)。シカの皮剥ぎは意外に少なかった。

2015年6月15日月曜日

かつて登った山を眺めるのも楽しい 立山短スキー体験記                    鎌田 克則

 昔、常念から蝶を縦走したとき、ここはもう穂高に登れなくなった老登山家が、かつて登った岩稜や厳しいルートを眺めるために来るところなのだ、と聞いたことがある。

確かに80歳目前の私にとって、あの峰、あの斜面を思い出して、それこそ「片雲の風に誘われて、漂白の思いやまず」となるものの、その途端もう若くないのだと反省することしばしば・・・



たまたま大きな車の取り回しが辛くなって、車検を期にディーゼルのコンパクトカー4wdを注文した所、2ケ月近くかかり、且つ届いた時は、病や野暮用が連続、うずうずと言うか「そぞろ神の物に尽きて心狂わせ」となり、「取もの手に付かず」(以上奥の細道前文抜粋)64日(木)週末好天を期待し、短スキー一式を積んで、友人と白河の関ならぬ北陸道を目指す。

先ずは天候回復まで能登半島で2日間つぶし、6()午後天候回復の報にその昼頃、立山駅に到着、美女平経由、室堂に向かう。

お気づきでしょうが、先の北山の会のブログに、高鍬さんの立山報告、特に彼の赤いヘルメットと赤いウェア―で万歳している姿の写真が、頭にインプットされていたことは間違いありません。「ええい、わしも行く」とまあ次元の低い発想。

さすが立山駅~美女平~室堂までの1時間強は、土日で人は多いものの、段取りよく進む。早速雪原で一寸短スキー装着したが、試すほどにもならず。
先ずはミクリガ温泉へ。室堂より15~20分の距離。私はここがご贔屓。温泉は良いし、親切だし、食事もなかなか、それに何とトイレはウォシュレットになっていた。

部屋は2段ベッドだが、高さも幅も有り、それぞれ仕切りカーテンも有って、空いており、昔の山小屋とは雲泥の差、快適である。

段々天候が良くなる。サンダルを履いて、直ぐ上の展望台に登る。

西日が傾きだすと立山連峰が眼前に堂々と現れる。浄土山、一ノ越あたりに一寸雲、何と言っても立山三山、そして別山乗越、剣御前の小屋が見える。

 

 

 

 

 

 

そこに至る雷鳥沢、室堂乗越。その左は奥大日、大日が,逆光ながら手前の地獄谷からの噴煙に見え隠れする。全く雄大で残雪の立山連峰の景色に見惚れるばかり。これは絶対お勧め。但し好天が必須条件。

何と言っても雷鳥沢を登り,別山乗越を越え、剣沢を滑り、又もや雷鳥沢を滑って戻った思い出が胸にせまる。よくあの急な斜面を登り下りしたものだ。

 
 
 
 
 
 
夏や秋、剣や剣沢から仙人池、欅平に下った事や、薬師、太郎兵衛平に縦走した事。若かりし頃、大日平方面でキャンプしたこと等思い出は尽きない。

 

 

 









ふと近くの人が静かにカメラを構えおり、その方向を見ると、茶色と白の羽が混ざった雷鳥が数メートル先にいるではないか。パチリパチリ。

体が冷えて来るので小屋に戻り、温泉に浸かる。ああこれで良い。登るだけが能ではない。この歳でこの風景を眺められるだけで幸せと思うべし。

美味しい食事を頂き、又風呂に入って早々に寝る。




6()快晴、朝日の写真を撮る話もあったが、起きた時は明るく、また朝風呂に浸かり、遅い朝食を頂き、ゆっくり出発。実は雪の緩むのを待って短スキーを試す算段。

短スキーには、シールもアイゼンも有るのだが、雪も手ごろな硬さで、短スキーをリュックに括り付け、壺足で室堂に向かう。

 

 

 
 

今度は奥大日、大日が朝日を浴びている。

一ノ越方面には何か一直線のラインが「く」の字型に引かれていて、多分雪上車の道になっている様だ。そんなルートは御免と、浄土山と室堂山の間の鞍部を目指し、一直線に登り出す。同行の友人には、鞍部に着いたら電話するから、その時華麗な姿を撮影するよう頼んである。

まだ病み上がりで、もう一つ元気が出ないが、せめて鞍部辺りから滑らなければ、短スキー持参、兼用靴を履いて来た甲斐がない。

ハアハアと登っていると、鞍部手前で電話が鳴る。取ってみると何と中村淳先輩。「これから自宅に私のスキーを届けに行くが、都合はどうか」との問い合わせ。「今立山浄土山の斜面を登っている所です」と伝え、そして携帯の赤ボタンを押した。(この時一寸押し過ぎたらしい) そしてやっと鞍部らしい所に登ったら、まだその上がある。でも雪面の具合も良くないので、ここで短スキーを履く。

いよいよ滑り出す際、室堂からの撮影を頼むべく携帯を取り出すと画面は真っ暗、もちろん通じない。壊れたと思って、取り敢えず滑り出す。所が斜面には50cmぐらいの幅で、雨水が流れる深い溝が一斉に並行して並んでおり、短スキーは滑るどころか、全くその凹凸を越えるのに必死、要はガタガタ。回転するのは簡単だか、そのボコボコが邪魔をし、それどころではない。下から見ている人も居るから、コケられないし、唯々必死で下るのみ。凡そ快適とは縁遠し。やっと下方に着いた頃、友人も気が付いて写真を撮ってくれたそうだが、見る気もせず。

せめて長いスキーを持ってくれば良かったと思いきや、高鍬さんの報告を再度見ると、やはり長いスキーでも弱ったと書いてある。もっとよく読んで来れば良かった。

後は一寸バスから雪の大谷の雪壁を眺めただけで、何の未練もなく立山駅へ。そして小型ディーゼル車で一路大阪へ。なかなか静かで加速が良い。それに軽油でリッター辺り18km走るので機嫌を直す。

ところでその翌日、潰れた携帯を持ってNTTドコモに怒鳴り込んだ。待たされた挙句、「お客さん、これは電源を切って居られるだけですよ」との事。

嗚呼、歳は取りたくない。