18世紀にヨーロッパで近代アルピニズムが興る前、人々にとって山岳はどういう存在だったか。聖なる信仰の対象だったのだ。雪や氷をまとい、人を寄せ付けない急峻かつ高き嶺は畏敬の念を呼び起こした。人知の及ばぬ所にはすべて神がおわすのだ。これは洋の東西を問わない。モンブランも富士山も白山も信仰の対象であり、恐れ多い山であった。
だから、最初に山へ足を踏み入れたのは、ぼんさんだったのではないか。明治39年、陸軍参謀本部の陸地測量部が地図作成のため、未踏峰とされていた剣岳に登ったとき、頂上に奈良時代の錫杖があったことは、新田次郎の「剣岳点の記」などでよく知られている。アイゼンやピッケル、ザイルといった近代的登山用具のない時代に剣岳に登るのは、よほどの苦労だったに違いない。信仰という強い信念があればこそだが、そこに、近代アルピニズムの萌芽を見ることはできないか。
槍ヶ岳の開祖と言われる播隆上人(1786-1840)が、日本初のアルピニストではなかったかと考えている。浄土宗の僧であった越中の人播隆は、笠ヶ岳の再興者であり、槍ヶ岳の開祖ということになっている。笠ヶ岳の開祖は円空ということであり、再興者ということは、それに登路をつけたということだろう。
笠ヶ岳に登って槍ヶ岳を見たとき、次はあれに登ろうと決心したという。播隆の心を動かし、さらなる登行意欲を沸き立たせたのは何だったのか。むろん、信仰心もあっただろう。だが、信仰心だけがモチベーションなら、なにも槍ヶ岳に登る必要はない。笠ヶ岳に何度も登ればよいのだ。播隆にとって槍ヶ岳でなくてはならなかったのは、それがより高く、困難であり、より未知な山だったからだ。それはアルピニズムの精神でなくて何であろうか。無自覚であっても、近代アルピニズムの精神が内在していたと思われる。
比叡山に千日回峰という荒行がある。7年かけて1000日の行に服する。1日30キロ歩くとか。あまつさえ、9日間の断食、断水、不眠、不臥など、信じられない荒行である。肉体を酷使することで精神の浄化を得る、世俗を超えた世界に入る、という論理は納得できないことはない。だが、肉体を酷使することと、高き、未知なる頂を目指すということはまるで違う。宗派も違うが、仮に播隆が天台宗だったとしても、千日回峰のようなアホなことは絶対にしなかっただろう。彼の精神をゆり動かしたのは高き、未知なる頂だった。播隆は宗教人であると同時にアルピニストだったのだ。
一つのアルピニズム精神が導かれる。まず、無欲であること。そして、初登山から得られる精神的充足感、未踏の地へ到達、そこで体験した知的充足感以外、一切の実利がないことである。人跡未踏の地には何があるか、それを探るのは知的好奇心である。登山が知的行為であるとされる所以である。
四手井 康彦 2012.08.17.
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