たまたま今秋アルタイ、天山の方に出かける予定ですが、同行する友人より、中央アジアに関する古い本を、読んどいたら良いでと3~4冊持ち込まれました。なかなか読めなくて、取りあえず各本の「はしがき」と「あとがき」それに著者の経歴だけを目を通しました。 そのなかに「ユーラシア手帳」加藤九祚著のあとがきに、次の言葉がありました。
11世紀ペルシャで描かれた教訓書カブス・ナーメに、「もしも君に資力があって、しかも旅に出ないならば、それは君の富から充分な恩恵を得たことにならないだろう。この世の富から得る充分な楽しみは、見なかった物を見、食べなかったものを食べ、見つけなかったものを見出す事であり、これが出来るのは旅においてだけである。旅をして世界を見たものは、経験に富み、成功しやすく、賢明である。なぜなら、彼等は見なかったものを見、聞かなかったことを聞いたからである。話を聞くのと自分の目で見るのとは違うのだ。」
とありました。何しろ11世紀の事ですから、旅に出られるのは、当然資力のある人しか出来ないことだったでしょうし、情報のない時代でしたから、旅は実利的にも有用だったでしょう。
しかし現在通常の生活で、一寸切り詰めれば、旅する資金は出てきますし、情報も溢れています。BS放送旅行番組を見れば、行った気になれます。それでも現実に行ったのと、TVの画面で見るのとはおお違いです。
ずばりペルシャの賢人は、それを素直に云い当てていると思いました。
今夕スイスに出かける直前の空き時間に。
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