蕎麦山、その急峻さと藪で鳴らした山である。片やホハレ峠も、嘗ての徳山郷より戸入、門入を経て川上に至る峠。一説に『頬が腫れる』の名から付いたと云われる程の厳しい峠である。
一昨年残雪期、隣の土蔵岳に登った時、ホハレ峠とその上に秀麗な蕎麦山を見せ付けられ、弥が上にも登行欲をそそられた。
積雪期、無雪期の偵察から、距離が有り過ぎて、ホハレ峠辺りに前進キャンプが必要と考えていた。
4月17日(日)、好天が予測され、前週の金糞岳の快調さから、一度蕎麦山にラッシュを掛けてみようとなり、朝5時前車で自宅を飛び出し、又小林さんをピックアップ。名神、北陸、木ノ本、八草トンネルを抜け川上へ。坂内川の右股左岸300M進んで残雪でストップ。(7:30)躊躇なく林道を辿る。時速3KM、休まず進めば稼げるものだ。
2度目のターンの先には、前週登った金糞岳の北面が輝いていた。ホハレ峠手前の3度目のターンの後、2つ目の北向きの谷に突っ込む。(9:30)始めは雪で埋められていた谷も、間もなくズタズタに。右の枝尾根にかじり付き、ひたすら上へ。1時間半の苦闘の末 948稜線に達す。(11:00)そこは雪庇の張り出し部分が崩落して歩き易そうな尾根。それに蕎麦山の三角垂の端正な姿がドーンと現れる。何とか射程距離に納まりそうだ。
ピークの麓迄1時間、(12:00)ピークの登りに1時間と踏んだが、近付くにつれ、これから登る、頂上より南西に伸びる急峻な尾根は、日当りが良いのか斑である。事実突っ込んで見ると、猛烈な藪と大きな雪塊が交互に立ちはだかる。藪の下には踏足があるが、直ぐ雪の下に消える。格闘する事小一時間、頂上方向を見るとまだまだ。又小一時間してもう頂かと上を見ても全く同じ姿。
要は稜線は放物線形をしていて、登っても登っても上が出て来るのである。苦闘する事2時間。それも尽きる時が来た。その先には、見慣れた越美国境の山々が並ぶ。頂上である。何と尖った雪庇の矛先、カメラを撮ろうにも怖くて突き刺したピッケルから手が放せない。跨るしか無い。恐る恐る小林さんと頂上交替。(14:00)
後は一目散。何とか明るいうちに林道に達したい。元来たルートを必死に戻る。よく見れば数米はあろうかと思われる雪庇が続く。
次々と分岐を確かめ、当初突っ込んだ谷の上部に達す。藪が出だすとルートが解らぬ。所が用心深い小林さんは黄色の目印を付けていた。
これが非常に役立つ。右か左か迷っている閑は無い。下って下って下る。しかし林道が出て来ない。ルートを誤ったか。否黄色の目印がある。
暮れ泥む頃林道が現れた。(18:30)何とか帰れる。腹に何か入れるか。いや見える間は少しでも進もう。日が暮れる。ヘッドライトを出す閑も気力も無い。ひたすら歩む。先に発電所らしいシルエットが見え、突如白い我がレガシーがそこにあった。(19:30)
何と朝7:30分ここを出て、帰って来たのが19:30分。殆ど休まず実動12時間。唯々蕎麦山の頂上に達しがたい為。これが本当の山登りなのだ。
それから2時間半運転して家に帰った。(ドライバー私のみ)何と全長17時間のアルバイト。75才にして我ながら殊勲甲。
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