2011年黒壁計画
越美国境尾根は美濃の代表的エリアであり、古くから京都の登山家を惹きつけてきた。一般に、美濃に早くから足を踏み入れたのは地元岐阜高農と思われるが、その詳しい歴史はわからない。京都から最初にこの地を目指したのは西堀栄三郎さんだと思われる。
1927年に、西堀さんは単独で岩屋から夜叉ヶ池に登り、池ノ又を下ってホハレ峠を越え、門入へ抜けた、と「奥美濃」(1975年、山葵会発行)の特別寄稿で今西錦司さんが書いている。積雪の国境尾根がまたよい。
1953年の春に、鴨沂高校の秋田泰司さんが単独で夜叉ヶ池から冠を目指したが、天候悪化により途中で敗退したと、鎌田克則さんが書いている。鎌田さん自身も雨に降られ、高倉峠から降りたそうである。
1956年3月には、当時洛北高校生だった西邨顕達さんが鴨沂高校と合同パーティーで同じルートを目指したが、テントを燃やすなどのトラブルがあり、金草を越えたところから楢俣に降りている。
鎌田さんはこのルートに執念を燃やし、爾来何十年とリベンジの機会を待ったが、仕事が多忙であったり、天候が悪かったりで叶わなかった。今年こそと、駒ヶ岳~百里ヶ岳の前哨戦をやったが、加齢による体力の限界を悟って、越美国境尾根の三周~冠を断念したという。
そこで、美濃計画の一つの区切りとして、黒壁(1316.3m)を提案する。黒壁は夜叉ヶ池と三周ヶ岳の途中から東に伸びた尾根にあり、一等三角点の三周の蔭に隠れた存在である。しかし、標高は美濃では能郷白山に次ぐ第二の高峰であり、どっしりとした山容は魅力的である。美濃の山はすべてそうであるが、積雪期には一段と映える。また、国境線上にないので、純然たる美濃の山であると、岐阜の人たちは誇らしげにこの山を語る。
夜叉ヶ池までテントを担ぎ上げたいところだが、高齢者パーティーとして無理をせず、日帰りを目指す。ただし、前日に岩屋まで車で入って設営し、翌朝、ラッシュ・タクティクスをかける。春山の日帰り装備。ロングスパッツ、ワカン、ストック携行。日程は3月の天気のよい日。参加者を募る。問い合わせは鎌田克則(メールアドレス:RAC-KAMADA@tkcnf.or.jp)
四手井 靖彦
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