先ずは初夏の北海道へ持って行って試したい。早速フエリー等手配。
7月2日(木)夜、友人誘って京都縦貫道開通直前の舞鶴へ。23時30分乗船。
7月3日(金)0時30分出航。毎度要領は解っている。先ずはお風呂にゆっくり入る。その内船が少しビリビリ震えてきて港を離れる。曇った窓から港の燈火が通り過ぎる。やれやれ世間様とお別れ。何やら安らかな気持ち。部屋に戻って持込んだお酒とおつまみでしこたま?飲みしゃべる。明日は無制限に寝られるのだ。
翌朝11時頃起きて又風呂へ。そしておにぎりで又一杯。その内チェロの演奏会が有ったり、娯楽映画を見たり、飽きたら船首の部屋へ行けば海を眺めながら静かに本が読める。昔「究極の旅」と言われて、カナダからアラスカ往復する豪華客船に乗ったが、退屈で往生した。その点新日本海フェリーは手頃な船旅だ。
夜20時45分、小樽港到着。定宿の市内のホテル、向かいの寿司屋、お決まりコース。
7月4日(土)今日は積丹半島を廻りニセコ周辺が予定。余市を通過、何やら夏祭り。積丹半島はギザギザしたところがみんなトンネルになっていて、昔の荒々しさは無い。曾て春に積丹岳(1,255m)を快適に登り滑った。ちょっぴり再度期待したいところだが、今ははかなき夢だろう。
次に岩内よりニセコパノラマライン走る。特にお気に入りのルート。何たって岩内岳、目国岳等々、五色温泉に至るニセコオートルート呼ばれる山中を走る。曾て山スキーで走破した事がつぶさに思い出される。
途中神仙沼と言う沼地の入り口に駐車場が有って、沼が近いと言うので覗いてみた。たしかにガスも掛かって名に値する幽玄の湿原だ。驚くのはその周辺の木々の枝ぶりである。その捻じ曲がり具合は、日本海から吹き付ける風雪の強烈さを象徴している。
懐かしい新見温泉ルートを右に見ながらニセコへ。やはり洒落た町だ。今シーズンもしチェルビニア計画がもし潰れたら、やはり設備、と多彩なルートからここが第一候補か。羊蹄山を右に見ながら俱知安経由、朝里温泉へ。
7月5日(日)今日は小樽から北上する日。先ず軽油を満タンにする。
今回自宅から自宅まで2,200km走ったが、なんと44リットルタンクで三回の給油で余裕ありました。リッター辺り約20km走行。しかも軽油。
まず暑寒別岳のふくらみ通過、夏に雨竜沼から登った事が忘れられない。願わくは暑寒別の滑らかな尾根を滑ることが出来たらと思う。但し除雪のタイミングが予測できないのが悔しい。
雄冬。健さんと賠償千恵子の映画を思い出される。そして増毛。毛の薄い人に人気だとか。駅前に健さん達のロケ記録を集めた案内所が人気。
そして日本海オロロンラインを一路北上。今日は天塩で泊まる。明日ゆっくりサロベツを楽しむために。夕日が美しい。
7月6日(月)まず午前中サロベツ原性花園と利尻がメイン。その前に天塩川の流れのゆったりさ,海岸線に平行して流れ、河口に至る迄の姿が自然。
サロベツ。海岸線の花園から望む利尻は何時も魅かれる。どこかで厳冬期の利尻の写真を見たが、死ぬまでにこの目で拝みたいものだ。
始めは曇り気味であったが、だんだんと利尻がはっきりと見えて来る。これを見に来たのだ。海岸線から、花園から、それに風力発電柱群も新たに景色に加わっている。ビジターセンターもあるが、期待したほどエゾカンゾーは無かった。むしろ稚内の海岸の方が多い。
利尻岳をたっぷり見て内陸部へ。宗谷本線に添って走るのも楽しい。そして稚内、納寒布岬そして宗谷岬へ。昨秋稚内港からサハリンに向かった事が思い出される。最近の旅では最も印象的だった。その報告について未だに時折反響がある。
そして宗谷岬。日本最北端。間宮林蔵の銅像も有る。正直を言うと、この旅の最大の目的は、白い新車のバンパーに、この宗谷岬のシールを貼るべく買いに来たのだ。
買ってみて、いざとなると貼るのは恥ずかしい。この8月九州最南端佐田岬に行き、同じくシールを買って、バンパーの両端に貼るかどうか、その時まで先送り。
今日はサハリンが見えない。その最南端クリリオン岬まで42kmなのに。後はオホーツク海側を一路南下。クッチャロ湖畔に泊まる。白鳥の滞在地として有名だが、5月GW辺りが最終だとか。
7月7日(火)天気が良ければ内陸部の大雪経由網走に行く予定が天気悪く、オホーツクライン経由で網走へ。常にオホーツク海を見ながら海岸線走る。以前はそれでも感激したが、目が肥えたのか単調だ。その内サロマ湖へ。特に天橋立の様に東西細い海岸線が伸びており、竜宮街道と言われるので寄ってみたが、立派なネイチャーセンター有って、そこのおっさんが、熊が出るので先端に行かしてくれない。 まさか。
網走湖畔のホテルに泊まる。2泊予定。夕食事、姫路の夫婦より「流氷館よりよっぽど網走監獄の方が面白い」と聞く。
7月8日(水)先ずは網走監獄へ。初めてだが1時間おきに専門の説明員が付く。落語を聞くより面白く、特に脱獄の手口など思わず感嘆お声を上げてしまう。詳しくは先ずはお訪ね下さい。
後は小清水原生花園。列車の駅と花園がセットになっている上、海も近く、特に花が美しい。
後は一路知床へ。あちこちあるが、知床峠を目指す。やはり羅臼岳と国後島を見るのだ。羅臼から硫黄岳に縦走し、食料を忘れて往生したことが懐かしい。何時もながら国後島を目前にして、毎度のことながら、ソ連領とは情けない。講和条約も結んでいないから、ロシアは唯実行支配しているだけ。それを言うなら樺太も同じ。今年プーチンが来日するそうだが、万一にも返還の可能性があれば、一番に国後島の一番北端、爺々岳に登りたいものだ。
後は知床南岸を急ぐ。羅臼の町から南へ数キロ行ったところのマルミ食堂(弟の方)を目指す。曾てそこで泊まった時、余りに大きくて立って持ち上げたら足元迄届く程の大きなタラバ蟹を食べさせてくれた。それから通る度に、そこでカニを食べるのである。所が遅くて昼休み。
帰りは斜里岳の西,根北峠を越える。北に見える海別岳、それに斜里岳と峠周辺の雰囲気の良さに惚れ込む。再度網走湖畔のホテルへ。
7月9日(木)今日は観光の日。まず美幌峠へ。屈斜路湖の広大さに改めて驚く。そしてお決まりの摩周湖へ。大概霧が出るが、快晴であっけらかん。それでもやはり美しい。
そして南の釧路湿原へ。展望台は幾つもあるが、今回は細岡展望台に寄った。道が複雑だがそれだけの事はある。たまたま島根から来た人が、タレントが、ここが一番見晴らしが良いと言っていたと聞いて、他を諦めて一路帯広に向かう。高台のそれも10階ぐらい高い部屋だったので、帯広市内、夕日、夜景、朝日それに大雪や日高の山が遠くながら眺められて美しかった。
7月10日(金)今日は北海道最後の日、高速で一路東へ。道は良いがトンネル続き、かつての狩勝峠の様な大雪と日高山脈の間を越える実感はない。トマムを過ぎ、夕張を過ぎ千歳へ。そのまま小樽に行くには早過ぎ、又支笏湖経由で又ニセコへ。ジャガイモの花が一斉に咲いてその後ろに羊蹄山が見事。何度も登ったが、頂上から滑れたのは一度だけ。あのころは元気だった。
昆布温泉からニセコの山を抜け、岩内経由小樽へ。夕食は親切な人のお勧めでうに丼。そして小樽運河見学。
そこで安藤久男さんに電話した。昨秋の北山の会の総会に体調不良で欠席された。それを中村淳さんが心配されているのを知っていて、電話番号を控えて来たのだ。
安藤さんは元気にしておられた。中村さんがブログに色々書いておられる事。近々中村さんが大雪・旭岳に誘われる旨伝えると、「ロープウェイの上ぐらいならいくぞ」との事だった。これはほんとに実現されるとのこと。
23時30分小樽港出航。それこそ北海道を走り廻ってああ疲れた。
7月11日(土)船中くちゃ寝、くちゃ寝、夜21時15分舞鶴港着。夜帰るのは危険と近くのゴルフ場のホテルに泊まる。
7月12日(日)。出発して11日目、朝ゆっくり起きて、皆さんを送り届けて、2時頃帰宅。何と暑い事か。それにうちの山の神に、今朝からどこをうろついていたのかとぼやかれ、なお暑かった。
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