2012年5月21日月曜日

帆船「あこがれ」航海記 鎌田 克則

4月22日~26日 大阪市所有
帆船「あこがれ」航海記(博多港~長崎帆船祭りパレード参加)

帆船、私はこれを見ると、あの大航海時代を思わずに居られない。アメリカ東海岸でメイフラワー号の実物レプリカを見た時、鳥海山山麓のにかほ市の公園で、白瀬中尉の南極探検船「開南丸」の実物大の遊具を見た時、よくぞこんな小さな船でと思ったものだ。
4月初め頃大阪港WTCを訪ねる機会があり、偶然大阪市所有の帆船「あこがれ」が繋留されているのに出合い、中を覗かせて貰った。恥ずかしながら、私はこれまでその存在すら知らなかったし、帆船なんて10年程前、大阪港の帆船祭りを岸壁より見て以来のこと、ただしっかりパンフレットだけは握って帰った。
そして開いてみれば『小学校4年生以上なら誰でも乗船できます』いくら捜しても年齢制限が無い。まさかと思いつつ、大阪湾内コースばかりの中に、『長崎帆船祭りに参加しよう(3泊4日)』と言うのがあり、駄目元で申込用紙に記入送付した。10日ぐらい経ち忘れていたら、突然「セイル大阪」と言う所より封書が届く。開ければ乗船許可。何百人の申込者から抽選で当たったのかと問い合せたら、35名募集に対したった8名の応募との由、笑ってしまう。
さてその航海の概要は、4月23日(月)9時半博多港集合出航、玄界灘に出、壱岐水道,五島灘経由長崎に至る3泊4日の帆船の旅である。 
ちなみに帆船「あこがれ」の概要は、3本マスト、トップスルスクーナー型、総帆13枚、362t、航海速度8.5ノット、乗組員10名、訓練生40名、世界一周もしているなかなかの船である。
勿論、何もお客さんとして乗る訳でなく
あくまで訓練生。毎日6時15分起床、甲板を磨き、ブリーフィング、帆を引っ張り、マストに登り、掃除をやり、食事の始末等々、その上色々帆船に関する研修がある。全く年齢は考慮されず、どちらかと言うと小中学生扱いで、結構ハードである。
正直長崎で下船した時やれやれと思った。ただ参加者8名に対し、ボランテイアトレーナー7名、クルー10名、総員25名であるから、余裕があり、皆親切なので助かった。
何もかも初めての事で驚くことばかりだが、日常は概ね船員の訓練生活であるので、特に驚いたこと、思った事を次に記します。
(1)帆船における帆を張る,畳むと云うのは物凄く大変な作業なのだ。帆を一枚張るのに先ず捲いてある帆を外しに登り、それから一つ一つのロープを10人以上で引っ張るのである。山ほどロープがあって、どれを引っ張ればどうなるかは、勿論乗組員の指示に従うのだが、信じられないくらい面倒なのだ。実際を言えば、3泊4日の航海で帆を張ったのはたった2枚で、現実に帆で走ったのは2~3マイル,風が弱かったせいもあるが,全行程の98%はエンジンで走ったのであり、帆は正直お飾りのようなものであった。帆を全部張って走るのは、我々練習生の居る所では、無理なのではないか。ましてや嵐の中での帆の上げ下ろしは想像を絶する。それを考えると大航海時代の帆船は、気の遠くなるほど危険で大変な作業の上での航海だったのだ。 

(2)船と言うものは密室である。そこに大勢の
人が長期で生活する。その点全く野外とは違う。野外でも長期ともなれば、トラブルが起こる。ましてや狭い船内で皆好き勝手をやれば想像がつく。よって全て理屈抜きに細かい厳密な規律がある。例えば毛布の畳み方にもルールがある。
 それに船は階級社会と聞く。
今回は練習船なので、全く和気合い合いだったが、実際の船はそうでなければ持たぬと思う。それと衛生面の管理の厳しさに驚いた。考えれば無理も無い話し。

(3)二日目夜2時間当直に立った。先ず艦橋に立つと内も外も真っ暗である。丁度平戸、佐世保沖,五島列島との間の島のごろごろある間を抜ける。しかも他の高速の船も行き交う。緊張せざるを得ない。
先ず現在位置の確認。黒いカーテンの内側で、15分おきに,GPSの記録を固定する。船長の指導の下、海図に大きな定規を二つ使って東経00分、北緯00分と現在位置を記入する。船長が予め引いた線とのずれを割り出し、操舵者(これも訓練生)に修正を伝えるのである。山でしょっちゅうやっている事ではあるが、全く船では要領が違う。
実はオリエンテーリング用の磁石を持参しテストした。全く役に立たない。第一廻りは鉄だらけ、とんでもない方向をさす。羅針盤はではどうするのか。船長に寄れば、初めから船ごとに調整されているとか、今は全てGPSとレーダー、それに海底までの深さも自動的に測られている。
    次に操舵を担当。後ろから00度と言ってくる。それを復唱し、自動車のハンドルと似たものをそっとその方向に舵を切る。五度以上は駄目で、自動車のハンドルとおなじで、そのままにしていると廻ってしまうので直ぐ又元に戻す。そのタイミングが難しい。勿論目指す方向と現実の船の方向とのずれは、大きなメーターにピリピリと出る。それでも船の目指す位置と15分おきの現在位置とはずれる。風で流がされたり、海流の影響もあるのであろう。それにレーダーに映る他の船も気を配らなければならない。
船長は海の男らしく実に魅力的且つ親切な人で、一生懸命教えてくれるし、どんな質問にも気良く答えてくれた。暇なときはいつでも艦橋を訪ねてくれと云われたが、邪魔になってはと思い遠慮した。今から思えば惜しい事をしたと思う。これが最も貴重な体験となった。 

(4)帆船祭りのパレードに参加するのは実に楽しい。本来帆船は見るものとも聞くが、帆船に乗ってパレードに参加するのはやはりわくわくする。色々旗を靡かせ,他の帆船と共に順番に入港する。岸壁には大勢の人が手を振る。こちらも船首から一列に並んで帽子を振り、敬礼でそれに応える。祭りの御輿に乗っているようなものだ。
下船後パレードに参加した6隻の帆船を見て廻った。日本丸とロシアのパラダという船が一番大きく立派だが,韓国のコリアナ号も個性的、みな着飾っている。帆船は見た目が勝負と聞かされていたが、全くその通りである。

(5)参加者8名の内、若いのは大学生一人、あとは50歳以上、私(76歳)より上と思われる人も一人居て、平均すれば65歳~70歳ぐらいか。それに殆どがリピーターなのだ。
                船は小学校4年生を標準に設計されている
                             と聞く。それがなんとマニアックな爺婆ばかりが乗っているのだ。
               何故子供たちが喜んで乗らないのか。
帰って家内に話したら、わが孫でも乗らないという。家内が言うには、先日新幹線で中学生の修学旅行生と乗り合わせた時、先生が「おーい富士山が綺麗にみえるぞ!!」と大きな声で言っているのに、皆ゲームに夢中で、誰一人外を見る者が居なかったと言う。やんぬるかなである。

   (6)今回、帆船に乗ること自体が目的であったが、それは大航海時代を一寸でも体験したかったからである。エンジンも、レーダーも、GPSもない時代に、羅針盤と六分儀だけで、まだ地球が丸いと解りながらも、確証のない時代に、風だけが便りで、手探りで大海原を出掛けて行ったのである。そのパイオニアー精神と言うか、航海者の勇気に感嘆せざるを得ない。

(7) 船内に色々の帆船に関する本があり、大航海時代のものを少々読んだが、その中で特に印象に残った事は二つである。
   一つは大航海者として名を残した人は、なべて悲劇的な死に方をしているか、晩年不遇である事である。
これについて、いささか年代が違うが、思えばあの小さな帆船、南極探検船、開南丸を操って南極に向かった白瀬中尉の晩年が悲劇的だったことを思うと、彼もまた過去に名を成した航海者がそのような運命を辿ることを承知していて、敢えてそれを甘受したのではないかと思えることである。
   二つ目は、大航海時代に使われた舟の大きさである。帰って一寸ネットで調べてみた。当時の名たる代表的な船を挙げれば、
①コロンブスが黄金の国ジパングを夢見て、大西洋を西に向かい、なんと西インド諸島に達したサンタマリア号120t~180t 1492
②初めて喜望峰を廻りインドに達したバスコ、ダ、ガマのサンガブリエル号 178t 1495
③マゼランがマゼラン海峡を通って大西洋に出て、船長は途中で死んだが、船は世界一周したトリニーダ号 110t 1520
④ピューリタンの人々が、初めてアメリカ大陸に渡ったメイフラワー号 180t 1620
⑤キャプテンクックがあちこち発見して廻ったエンデバー号370t 1768
 ⑥白瀬矗が南極に向かった開南丸199t、但し後付けエンジン18馬力 1910
要は私の云いたいのは、大航海に使われた船は、私の乗った帆船『あこがれ』362tの概ね半分かそれ以下、クックのエンデバー号のみが同程度、但しクックは概ね大陸の状態が解ってからのことを思うと、それ以前のアメリカ大陸の存在もわからない、勿論喜望峰も、マゼラン海峡も発見もない時代の探検船が、如何に小さいことか。
もし乗合船か釣り船、小さなフェリーでも乗る機会があれば、そのトン数を聞いて、大航海時代世界を廻った船が概ね100t~200tの船だとして、比較して欲しい。
    それと今日本に二代目「しらせ」という12、500tの南極探検船があるが、当初の船が199tの中古の帆船で、後から125ccのバイク程度のエンジンを付けただけの船だった事、その隊長白瀬矗が、その探検の借財4万円?を、その後一生掛かって返済した事、加えて終戦直後、彼は全く省みられることなく、栄養失調同然で亡くなられたことが忘れられない。

さて高々362tの帆船に、34日乗っただけで、結論を出すわけではないが、気持ちとしては、私は海向きではなくて、陸向きと思う。
 船と言っても段々あるが、先ずクルーズと言われる5~10万トンの豪華客船については、究極の旅といわれて、バンクーバー~アラスカ往復とか、バルト海横断とか乗ってみたが、まるでラスベガスの豪華ホテルに居るのと同じ、ギャンブル、グルメ、ダンス好きでもない限り、全く退屈である。海は何処も同じなのだ。
 それより小さい3千~2万トンクラスだと、概ね目的地に行く為の船で、長くて1昼夜、物珍しいうちに着くので、一寸非日常的な過ごし方が出来る点,たまに乗るのも良い。
 それより小さい何百トンの船は、せいぜい3日が限度だ。海に直に接する点はワイルドで楽しいが、あの狭い船室に長時間閉じ込められるのは辛い。特に揺れでもしたら、やはり大変。
 結局、私が一番好むのは、新日本海フェリーで北海道に向かう道中、特に共同風呂に入って、窓から海を眺めるぐらいが一番性にあっているようだ。

(完) 

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