2013年9月9日月曜日

追憶の旅 冠山と徳山ダム

 中村 淳


通信3号に載った例会案内「徳山郷の沈む徳山ダムを訪ねる」に参加した。案内では、車で徳山ダムに入り、日本一のダム湖畔に建つ徳山会館に泊まり、翌日、冠峠で冠山を眺めて福井県側へ降って帰ることになっていた。


 奥美濃の昔の思い出が蘇り、冠山とまだ見ぬダム湖に思いを馳せた。シタ谷の出合は水没したのか。その焦点にあるのは64年前の85日の出来事だ。

シタ谷第3の滝の右側を登る
昭和2483日、鴨沂高校1年生の夏山山行で一年上の伊谷晃と二人で京都を発ち、今庄から高倉峠を越える。4日は赤谷を下り、シタ谷の出合の樵小屋に泊まる。

翌朝、シタ谷を遡行し冠山を目指す。第1の滝、第2の滝を巻いて、冠山岩峰直下の第3の滝に至る。左右は岩壁、正面の滝は左寄りにあり、右側の壁を登ることにする。

 伊谷が空身で滝上へ登り、細引きを垂らすが下まで届かず、中半まで降りてザックを引き揚げようとしたが、スリップして怪我なく着地する。

 中村がザックを背負って先に登り始める。残り僅かな処で三点支持の体勢が崩れる。「死ぬ!」次の瞬間、気を失う。青い水と白い泡の中で気を取り戻す。滝壺の端に落ちたことで滝に巻かれることなく、九死に一生を得ることができたのだ。

 伊谷に助けられ横になるが、胸を打ち、息苦しい。自分が何故ここにいるのか?一時的に記憶が喪失する。伊谷に助けられて、ゆっくり慎重に谷を降る。徳山のトラック運転手の家に泊めてもらい、翌朝、荷台の木材の上で丸太にしがみ付きながら岐阜まで送っていただいた。大失態を呈し、伊谷先輩に申し訳ないことをしてしまった。

以下、この出来事の追憶の旅が始まる。

出発を前に、鎌田リーダーから計画書が届いた。この日に限って徳山会館が貸し切りで予約が取れなくなり、冠山の北側の池田町にある冠荘に泊まり、翌日、冠峠を越えて、徳山会館で昼食をして帰ることになった。

冠荘の玄関前 鎌田L、セキトン、チュウトン
平成25824日、鎌田リーダーの車に高橋修(セキトン)、川井久造(チュウトン)、中村淳(ニャンコ)が同乗、4名で京都の烏丸御池を⒓:40に出発する。京都東ICから高速道路に入る。車の流れはスムースだ。甲賀SAで休憩、鎌田リーダーが昼食を摂る。この間にチュウトンは別席で喫煙タイム。

北陸道に入り、福井県に入る。走行中、セキトンが地図を見ながら山の思い出話を始める。次から次へと話は尽きない。武生ICを出て国道417号線を東へ進む。最高級のカーナビの指示通りにくねくねと街中を抜けて山間部を走り、池田町の平野部に入り、1600冠荘に到着する。

4名一緒に大部屋に入る。早速浴衣に着替えて入浴、肌がヌルヌルする温水で温泉気分だ。鎌田リーダーは塩素を加えているのだという。
部屋に戻り、湯上りのビールを飲みながら地図を広げて、昔話が弾む。セキトンの20万分の一と5万分の一の地図のファイルが素晴らしい。赤線に 入ったピークに日付が細かく記入されている。川浦谷の話は何度も聞いているが、チュウトンの話は熱い。

山の幸が並ぶ
夕餉の時間となり別室へ移動する。山里の夕食膳には清流の魚や山菜が並ぶ。
ビール、焼酎を飲みながら、話は64年前へとタイムスリップしていく。セキトンが地図を広げ、まず能郷白山の苦労話が始まる。
 昭和243月、秋田と二人で岐阜から長島に入る。3日目に登頂するが、思いがけない降雪で腰までのラッセルに悩まされ、13時間苦闘を続けて温見に着いたのが午後9時だったとのこと。


話はまだまだ続くが、ほどほどに切り上げて部屋に帰る。外は雨だ。

825日、今朝も雨だ。730に朝食。出発する前に諸費用を精算し、一人15,000円を鎌田リーダーに支払う。
冠荘を830に出発する。雨の中、今日も417号線の山道を冠峠へと登る。道幅が狭く、他には深く急峻だ。鎌田リーダーの慎重なハンドルさばきで高度を稼ぎ、925冠峠に着く。
この姿の冠山を見たかった


ここから東方向に冠山の鋭鋒が眺められるのだが、一面のガスで残念だ。ガスの切れ目を期待して、30分ほど車中で待機する。その間、ドライバーは睡眠をとる。

状況が好転しないので諦めて車を発進、一気に徳山ダム湖へ降る。赤谷の出合は既にダム湖に浸かっている。あの時、冠山を目指したシタ谷の出合も沈んでいる。

駐車場に車を停めて国道の橋中程まで行き、シタ谷を見下ろす。目の前に谷を跨ぐ橋梁が建設中で、景観を遮っている。昔の面影はない
 シタ谷の出合はダム湖
この橋梁の先は、冠山の下を貫通して福井県側へつながるトンネルが工事中だ。写真の手前は作業用の仮設足場で、その奥に長大な梁が懸っている。

この417号線のトンネルが完成すると、峠越えの道はどうなるのだろうか。

それまでにもう一度冠峠を訪れたい。





次に車でダムサイトへ移動する。堤高161m、堤頂長427mの巨大なロックフィールダムだ。総貯水容量66千万。この湖底に徳山郷466世帯が沈んだのだ。

このダムの目的は洪水調整、流水の正常な機能維持、新規水利、発電という。
果たしてこの目的をどこまで達成しているのだろうか。



帰路は417号線を横山ダムまで下り、303号線に入って西へ走行、八草トンネルを抜けて、木之本IC1340着。ここから高速道路に入り、順調に走行して1450に京都東ICを出る。

昨日の出発地点帰着1510、烏丸御池で車を降りて、シニア4名のセンチメンタルジャニーが終わった。

悪天候の中、二日間に亘り安全第一に慎重運転をしてくださった鎌田リーダーに厚くお礼申し上げます。

懐かしい思い出深い旅でした。







0 件のコメント:

コメントを投稿