2015年11月25日水曜日

烏谷山(1077m,北小松)  西邨顕達



比良の蓬莱山、打見山の北に位置し、烏谷山と記された1077mのピークは洛北高校の山岳部に入って以来、半世紀以上にわたって「からすだにやま」と呼ぶと信じてきた。ところが最近昭文社の地図「比良山系」を開いて、漢字で書かれた山名に「からとやま」と仮名が振ってあるのに気付いた。おそらく古くからある「からとやま」という山名に烏谷山という漢字を当てはめ、次に当てはめた漢字に引きずられて、元の名前が変わったのだろう。このような例はいくつもある。例えば、おはら→小原→大原→おおはら;しろうま→代馬→白馬→はくば。〔代掻きは苗を植える水田(しろ)を田植えに先立ち掻く(土を細かくする)こと。白馬山麓ではこの作業をする45月ころ、雪が解けて現れた山肌の一部が馬に見える。これを「代掻き馬」、略して「代馬」と呼んだ。〕
山名の論議はさておき、烏谷山は比良連峰の中ではそれほど特徴のある山ではない。高校1年生のとき、(1954年)4月末~5月初めの連休で奥の深谷・大橋小屋に泊まって、比良の山々を初めて歩いた。このとき、最高峰の武奈ヶ岳とそれに次ぐ蓬莱山に登ったのは確かだが、両者の中間に位置する烏谷山にも登ったかどうかは定かでない。(高校山岳部の同級生で、この時の大橋小屋泊まりの山行も一緒だった仲田道彦くんに最近確かめたところ、烏谷山は登ってないとのことであった)今回なぜこの山に登ったかというと、先輩が「北山50山」のリストにこの山を入れておいたからである。何年か前に北山50山再訪という目標を掲げたからにはこの山を外すわけにはいかない。
高校・大学時代に東側から比良に登るには、JR湖西線の前身にあたる江若鉄道を利用するのが普通であった。釈迦岳や武奈ヶ岳に登る場合は比良駅、蓬莱山や烏谷山に登る場合は近江木戸駅(現志賀駅)か蓬莱駅で下りた。そこから湖岸の松林を抜け、水田・耕作地帯を通って山麓に着く。この道中は緩い上りがだらだらと続き、退屈であった。その後に続く斜面についた道はどれも細く、急で、若い時でも相当しんどかった。しかし、現在ではこのアプローチは大変容易なものになっている。
敦賀と大津を結ぶ国道161号が昔からあったが、その南端部分30キロ余りが高架で高速で走行可能な道路(「地域高規格道路」)になっており、名神高速・京都東ICに直結している。比良の当たりは山麓を通るので、登り口までのアプローチは甚だ容易になっている。この道路は元来、161号のバイパスとして日本道路公団によって建設され有料であったが、嬉しいことに2005年から無料になり、完全に161号の一部になっている。
高速道路が通ることになったことよりも大きな変化は、比良の斜面に2本のロープウェイがかけられ、数分間で私たちを地上1000メートルの尾根の上まで運んでくれるようになったことだ。2本のうちの一つ、比良ロープウェイは釈迦岳の麓から北比良峠まで人々を運んだ。1962年に運行を開始し、多くの登山客・スキー客を運んだが、経営不振で2004年廃線になった。
もう1本は打見山の山麓から頂上(1100m)まで伸び琵琶湖バレイロープウェイで、1965年から運行を開始し、現在も営業している。これを使って打見山頂上まで一気に上がり、そこから尾根を縦走して烏谷山に至ることにした。帰りはもと来た道をたどることにする。これは考えられるかぎり最も楽なプランと考えられた。

月日・天気
2015105日(月) 薄曇り      
実はこの日より約3か月前(713日)にほぼ同じメンバーで行ったが途中で引き返した。

同行者
男性:伊佐太一、原田彦正、中川幸夫、松永平介、高橋敬治、西邨顕達、川瀬孝也、計7名。女性:野藤檀、平居玲子、竹内綾子、福田豊子、計4名。合計11名。
いずれも洛北高校での同級生。

行動記録
京都駅(8:56)→JR志賀駅9:36-46)→琵琶湖バレイロープウェイ・山麓駅(1002-30)→山頂駅→木戸峠(1045)→「大岩」(1144)→葛川越(1209)→烏谷山頂上(1244-1328)→葛川越(14:05)→「大岩」(16:28-33)→木戸峠(1515)→山頂駅(1550)→山麓駅→JR志賀駅(17:00-:09京都駅(17:49

ノート
JR志賀駅からロープウェイ山麓駅まで、琵琶湖バレイ提供の無料連絡バス(マイクロバス)に乗る。客の多い土日祝日は有料の江若交通バスが両駅間を走る。山麓駅周辺には広大な駐車場があり、この日は駐車している車はほとんど見当たらなかったが、スキーシーズンの休日はスキー客の車で埋め尽くされることだろう。
山頂駅を出てゴンドラが向かっていたに方向に2-3分歩くと打見山頂上に着く。そのすぐ右(東)には細長い草地が下に向かって伸びており、そこを下る。この草地は積雪期には「ジャイアント」と呼ばれる1000mのスキーコースになる。なかなかの急斜面で、下りるのはそう楽ではなかった。ここを上るのはもっとしんどいだろう。
草地を下りきったところから5分ほど東に行くと木戸峠に着く。ここから先はスキー場の施設がまったくない、山らしい雰囲気になった。ミズナラ、リョウブ、マンサクなどの落葉樹が目立つ。だが、紅/黄葉は進んでおらず、葉もほとんど落ちていない。傾斜のあまりない、気持ちのいい道を北に向かって進む。
1時間弱で「比良岳」の標識、そこから1-2分で「大岩」に着く。後でわかったのだが、この標識は本当の比良岳でなく、その東150mにある、本当の比良岳への道と縦走路の分岐点にある。「大岩」の名はどの地図でも見たことはなく、公式名称ではないが、多くの人がここで休むこと、および、道の傍らの大きな石に誰かが下手な字でこの名を書いていることから、やがてはこの名は定着するかもしれない。

比良南部地図。 朱色矢印:徒歩、緑色矢印:ゴンドラ



  木戸峠から先は林の中ばかり歩くので暗く、視界は広くなかった。ところが大岩に来ると視界が開け、前方にこれから行く烏谷山、右側(東側)には琵琶湖の湖水と島々が見える。この景色を見るために多くの人がここでしばし休む。7月に来たときはここで昼食を摂ったのち引き返した。今回は頂上目指してもうひとがんばりだ。
「大岩」から葛川越に向かって下りる。高度差90mでかなり急な下り。葛川越の少し手前に「大岩」よりはるかに大きな岩があった。葛川越から烏谷山までもかなり急で、高度差は120m。途中に蓬莱山、打見山、比良岳が素晴らしくよく見えるスポットがあった。こういうところがあるとほっとする。
烏谷山に登る斜面から見た蓬莱山、打見山、比良岳









「大岩」から見た烏谷山


















大体予定の時刻に烏谷山頂に着く。眺望は素晴らしい。今日は薄曇りだったが、北は釈迦岳、武奈ヶ岳、南は蓬莱山まで、比良の山のほとんどが見える。琵琶湖も対岸を含めてよく見えた。
帰途は来た道をそのまま引き返した。すでに1回(7月に来た部分は3回)通ったところだから苦労はなかった。ただ最後の行程である草地(ジャイアンツ・コース)の上りはしんどかった。 


琵琶湖の見える山頂での食事

    
男性より元気な女性方。とても喜寿には見えない



2015年10月16日金曜日

北山トピックス・追加訂正        鴨6 鎌田克則

 「北山だより №27」に「北山トピックス」を投稿致しております。その中で、ブッシュに蜘蛛の巣が全然張っていない。当然昆虫も居ない。鳥も見かけない。動物が居ない等々書きました。所がその後、そうではない事が解り、その一方で、特に北山に住む人の善良さに感動する場面もありました。よって前回の文章に追加訂正させて頂きます。

先ず、あの投稿後、2度北山を歩きました。最初は9月27日()の愛宕山。本来表参道を登るべしが、とてもしんどくて登れないので、朝7時35分の山陰線で八木へ。接続するバスで原へ。そこから登りました。標高差440m、表参道の半分ぐらいの登りで頂上へ。

それから首無地蔵、ダルマ峠、ウジウジ峠、カヤノ木峠、それに松尾峠、そして朝日峰の別れを過ぎました。ここまでは一寸ややこしいところが有りますが、一か所だけ判断を誤らなければ、全て一本の林道です。

そしてその先の梅ノ木谷を北に下るのですが、2.5万図では点線があるのに、全くと言っていいほど踏み跡がありません。思い切って朝日峰の東隣の真丸いピーク目指して東の谷を下ったが、伐採と其の後の放置で全く荒れた谷でした。

そして丸いピークの北の合流地点より林道が有り、そこは京都府立大学の演習林になっており、そのまま水谷川を下り、小野郷に出ました。

もう1回は10月3日()早朝よりJRバスで周山へ。タクシーで稲荷谷の最奥部へ。そこから茶呑峠へ。何と9時前に峠に着いておりました。

そこから城丹国境尾根の急坂の天童、飯盛を通過、ナベクロ峠に予定より早く着きました。そこから二手に分かれ、別パーティーは桟敷岳経由、岩屋不動へ。私のパーティーは、点線の祖父谷を下り、岩屋橋で5:15発の予約のタクシーで会う事にしました。

所が、ナベクロ峠の下りで、不覚にも主尾根を越えたつもりが、よく似た方向の枝尾根を越えただけで、何と大森から登って来る谷の東隣の谷を下ってしまいました。不審に思いつつも、峠を越えたのに、まさか隣の谷を下っているとは思いも寄りませんでした。下るうちに滝が出て来るは、谷は段々西に向いて来るはの悪戦苦闘の1時間半で林道に出ました。それでもまだ祖父谷林道だと思っていたのです。
所が右手に見える筈の桟敷岳が無く、城丹国境尾根上の鉄塔が見えました。おかしい。そして進むうちに、エンジンの音が聞こえ、ユンボを操作しているオッチャンに聞いて、初めて大森に下っていることが解りました。
そのオッチャン、なんと我々を、物凄い腰高ハイラックス・トラックで、信じられないような急坂の、オッチャンが造った道を登り、何と桟敷岳の稜線上の道まで送ってくれたのです。(後段で詳しく記します)
そしてその稜線の道をひたすら南へ下り、薬師峠に来たら、何とナベクロ峠で別れた筈のメンバーに会い、説明不十分のまま、岩屋不動に至り、予約のタクシーに間に合いました。そして烏丸北大路の王将で、説明と反省する事しきりでありました。

以上が行動の粗筋ですが、ここでの山行から「北山トピックス」に追加訂正させて頂くのは下記の項目です。

1)蜘蛛は居る。

早朝自宅を出るとき、何と家の門に蜘蛛の糸が一本張っていた。久しぶりです。その時予感がしましたが、要は北山に行ったら、やはり蜘蛛の巣に出会いました。考えれば、蜘蛛の巣を張るシーズンがあるのです。逆に蜘蛛の巣を張ると言う事は、昆虫もいると言う事です。

2)動物も居る。

先ず茶呑峠の登りで、鹿の泣き声を聞いた。キーンと森林に響く。何か懐かしい思いがする。要は深山に来た思い。

所で今のシーズンは栗の季節です。そこら中に山栗が落ちている。所が殆ど栗は何者かに食べられていて、たまに残っているのは,虫食いだけ。要は動物が食べているのです。それに尾根筋のヌタには、明らかに猪が背中をこすり廻った跡がある。

そして極め付けは、先に書いたユンボのオッチャンに会ったとき、最初の言葉は「さっきまでそこに居た熊が、あんたらの方に行ったが会わなかったか?」「ヒエーー ! !」でした。

3)林道。

北山の谷と言う谷は、昔は木馬道が四方八方伸びていた様に、林道がやたら走っているのですが,木の切り出しが終わったら全てほったらかし。それがズタズタになる上に、木の伐採も必要な分を除いて全てほったらかし。よって何とも無惨で、見るに堪えない上に、下るには難渋する。それに鹿除けのネットもほったらかし。昔はこんな事は無かった。多分炭焼きが居て、道を整備し、余った材木は炭にしたのではないか。

要は材木の相場の下落、燃料の交代が北山の谷の様相を一変させている。

よってこれからは、谷を下るよりも、笹が無く、ブッシュの少ない尾根を降る方が楽な様です。まるで山スキーのルートと同じ感覚。

片や尾根上の林道は総じて立派。特に愛宕山の西は、何故か特に立派で、よって暑くて寝苦しい夏の夜は、車で首無地蔵以西の林道に登り、水場も有るので一夜を過ごせば、京都市内も見えてさぞ快適と思われます。

4)北山に住む人。

愛宕から水谷川を下り、小野郷に出て、バス停の向かいの空き地に水道の蛇口が有り、側の家の人に断って顏を洗ったりしていた。丁度そこに止まっていた車で、明らか娘とその孫を送ると思われる母親が居た。その母親が「これから京へ行かはるのどすか」と聞いた。首を縦に振ると、「どうかお乗りやす。娘と孫がこれから京へ帰ります」との事。気よく乗せて頂く。

道中聞くと、今日は小野郷の運動会で、参加者が少ないので、何でも出たら賞品がもらえるので里に帰った由。話すうちに中川の材木事情、それに学校廃校の様子。身辺変化の状況がよく解る。お互いに共通点が有って楽しいひと時でありました。阪急西京極駅に送ってもらい、お蔭で簡単に帰れました。明るく屈託のない親子でした。

5)もう一つ。2度目のナベクロ峠から、誤って大森側に下ってしまった時、出会ったオッチャンは考えられない程親切でした。


約束の5時15分の岩屋橋にはとても行けないと、頭を抱えていると、

そのオッチャン、「どうせ俺の作った道や。薬師峠まで送ったろか」と言う。とっさ、大森まで下り、薬師峠迄林道が出来ているのかと思った。所がそうでもなさそう。

「ちょっと待って居れや」と言って、そのオッチャンは上部にあるユンボに向かう。我々は為すすべなく、神様のようなそのオッチャンに頼るしかない。それはそうと車は何処にあるのだ。見回しても無い?

その内エンジンの音が止まり、やがて山の斜面に、そのユンボが造ったと思われる45度程の急坂から、突如ハイラックスサーフの腰高トラックが降りて来る。「これか!!」。「ちょっとUターンするからどいて」と言われ。それからどうするかと思いきや、何とその坂を上ると言う。

荷台の荷物は後ろに寄せ、私は助手席に、後三人はトラック荷台の運転席の後ろの柱にしがみつく。私が助手席のシートベルトを探していると、そのオッチャン曰く、「そんもんは要らん。落ちた時脱出できない」と言う。

そしてその急坂をローギアで猛然と登る。それこそオッチャンが造った、オッチャンだけの、桟敷の主稜に達する、オッチャン車の幅だけの道なのだ。私も世界の僻地に行くので、大概ひどい車やヘリに乗る。今回はそれと劣らぬ一級のレベル。どうも桟敷岳の西斜面を殆ど直登気味に登っているらしい。

途中道が湿っぽくなる。道が余りに急坂で、後輪が空転して登らない。「降りて押せ!!」。三人が降りて押す。全く動かず。通常ならそこで諦めるところ、そのオッチャン、猛然と100m程バック。その間の恐ろしさ。目をつぶる。そして今度は猛然と加速前進。やはり後輪が空転する。「もう駄目だ」と観念したとき、その湿地帯を抜けたのだ。正に天佑と言うべきか。

更に登るとやや平坦。桟敷の主稜尾根上に達したようだ。「降りろ」との命に、車から降りると、オッチャン先に進むこと50mで、桟敷から薬師峠に達するハイキング道に達する。「右が岩茸に頂上や。30分も下れば薬師峠に着く」と言う。

「嗚呼ありがたや。ありがたや」そのオッチャン、よく見るからに逞しく、男らしく、山の男なのだ。正に神様、仏様である。若干のお礼をして、これからどうすると聞いたら、又その坂を下ると言う。家を聞くと、名前は和田さん。大森の東町、茅葺きが、銅版で覆われているので直ぐ解るとか。それに屋号は。改めてお礼に参上せにゃならぬ。感謝、感謝。

お蔭で予定時間に岩屋不動に到着。別メンバーと、それに予約のタクシーに間に合った。あの神様のようなオッチャンが居なければ,えらい事になるところだったのだ。

それに感心したのは、そのオッチャン、自分の山を美しく整備するために山の手入れをしているのだと仰った。「そうしなければ、下流の人が困る」と言う。嗚呼、和田さまは、やはり神様だ。

 

 

高山秋祭りと今年の紅葉進行状況  鴨6 鎌田克則


高山秋祭りが10月9日(金)・10()にあることが解り、久しぶりに家内と出かけました。「お父さんばっかし」と言われない為です。
枚方を7時半に家を出て、デミオ・ジーゼル車はなかなか快調にして、何と11時半に高山到着。12時からのカラクリ(神社の境内で行われたので一寸見辛かった)に間に合い、それを見て、その後市内の屋台を見て廻りました。祇園祭を小さくしたようなもので、何やらやさしい。駐車場は沢山あり、出来るだけ屋台が並ぶその近くに止めるべし。

勿論市内のホテルは半年前から満員、よって平湯峠手前の「ほうの木平スキー場」の高山市管理の「ジョイフル朴の木」に宿を取った。高山市内から30分位だし、立派ではないが、一応温泉で、それに安い。

宿に着くと、早く夕食を取ったら、高山祭りの宵山にバスで案内すると言う。これまで高山祭は2度訪ねているが、宵宮は初めて。勿論OK。6時過ぎ宿を出発、祭りの直ぐ近くに案内され、ゆっくり屋台巡航が見られ、宵宮を存分楽しんだ。帰りは9時前集合出発。宵宮見物はこれに限ります。出来れば簡易な折り畳み椅子を持参するのがベスト。

翌10日()、天候がまあまあ良い。宿の前から乗鞍畳平に向かうバスが、30分から1時間おきに出ている。勿論渡りに船、すんなり乗る。

立派なバスで平湯旧峠経由、乗鞍スカイラインを悠々登る。紅葉とグリーンの針葉樹の混ざり具合が見事。小1時間で畳平。さすがに寒い。這松の根元には霜柱。


近くの魔王岳に登ると見晴らしは抜群。穂高、槍、焼岳、それに笠岳がいやに尖がっている。東は山また山。西の白山は何故か見えなかった。乗鞍頂上は南方向で、観測所のドームのみが見えるのみ。今年の5月GW、一人で登り、滑った所だ。

同伴者の家内は、一応絵描きなので簡単な水彩を描く。ガス抜きが目的だから大いにサービス。そして戻ったバスの待合所は暖かく、それに帰りのバスが一番前の座席だったので、紅葉と見晴らしを再度満喫出来た。

宿前に戻り、車で平湯経由安房旧峠を目指す。私の好きな所だ。旧峠からは穂高岳沢が見事。紅葉も八分と言った所、例年より10日程早い。ジグザグの道を下り中の湯の前を通り、安房トンネルを抜け、平湯経由で、新穂高に向かう。特にケヤキ平、中尾平辺りの紅葉を楽しみ、家内は絵を描く。そして中尾のペンションへ。温泉と食事がなかなか良かった。

翌11日()朝から雨。平湯トンネルを抜け、円空の一刀彫を沢山保存している千光寺を訪ねる。以前はさびれた寺だったが、今は立派になっている。その頃雨がやみ、霧が掛ってなかなか幻想的でした。後は43号線、中山七里、飛水峡経由、美濃加茂より高速で帰阪しました。家内のガス抜きに全く手ごろな旅でした。車が無い時は、高山、平湯を中心に縦横にバスが走っておりますし、JR高山線も乙な鉄道です。是非お勧めします。