比良の蓬莱山、打見山の北に位置し、烏谷山と記された1077mのピークは洛北高校の山岳部に入って以来、半世紀以上にわたって「からすだにやま」と呼ぶと信じてきた。ところが最近昭文社の地図「比良山系」を開いて、漢字で書かれた山名に「からとやま」と仮名が振ってあるのに気付いた。おそらく古くからある「からとやま」という山名に烏谷山という漢字を当てはめ、次に当てはめた漢字に引きずられて、元の名前が変わったのだろう。このような例はいくつもある。例えば、おはら→小原→大原→おおはら;しろうま→代馬→白馬→はくば。〔代掻きは苗を植える水田(しろ)を田植えに先立ち掻く(土を細かくする)こと。白馬山麓ではこの作業をする4~5月ころ、雪が解けて現れた山肌の一部が馬に見える。これを「代掻き馬」、略して「代馬」と呼んだ。〕
山名の論議はさておき、烏谷山は比良連峰の中ではそれほど特徴のある山ではない。高校1年生のとき、(1954年)4月末~5月初めの連休で奥の深谷・大橋小屋に泊まって、比良の山々を初めて歩いた。このとき、最高峰の武奈ヶ岳とそれに次ぐ蓬莱山に登ったのは確かだが、両者の中間に位置する烏谷山にも登ったかどうかは定かでない。(高校山岳部の同級生で、この時の大橋小屋泊まりの山行も一緒だった仲田道彦くんに最近確かめたところ、烏谷山は登ってないとのことであった)今回なぜこの山に登ったかというと、先輩が「北山50山」のリストにこの山を入れておいたからである。何年か前に北山50山再訪という目標を掲げたからにはこの山を外すわけにはいかない。
高校・大学時代に東側から比良に登るには、JR湖西線の前身にあたる江若鉄道を利用するのが普通であった。釈迦岳や武奈ヶ岳に登る場合は比良駅、蓬莱山や烏谷山に登る場合は近江木戸駅(現志賀駅)か蓬莱駅で下りた。そこから湖岸の松林を抜け、水田・耕作地帯を通って山麓に着く。この道中は緩い上りがだらだらと続き、退屈であった。その後に続く斜面についた道はどれも細く、急で、若い時でも相当しんどかった。しかし、現在ではこのアプローチは大変容易なものになっている。
敦賀と大津を結ぶ国道161号が昔からあったが、その南端部分30キロ余りが高架で高速で走行可能な道路(「地域高規格道路」)になっており、名神高速・京都東ICに直結している。比良の当たりは山麓を通るので、登り口までのアプローチは甚だ容易になっている。この道路は元来、161号のバイパスとして日本道路公団によって建設され有料であったが、嬉しいことに2005年から無料になり、完全に161号の一部になっている。
高速道路が通ることになったことよりも大きな変化は、比良の斜面に2本のロープウェイがかけられ、数分間で私たちを地上1000メートルの尾根の上まで運んでくれるようになったことだ。2本のうちの一つ、比良ロープウェイは釈迦岳の麓から北比良峠まで人々を運んだ。1962年に運行を開始し、多くの登山客・スキー客を運んだが、経営不振で2004年廃線になった。
もう1本は打見山の山麓から頂上(1100m)まで伸び琵琶湖バレイロープウェイで、1965年から運行を開始し、現在も営業している。これを使って打見山頂上まで一気に上がり、そこから尾根を縦走して烏谷山に至ることにした。帰りはもと来た道をたどることにする。これは考えられるかぎり最も楽なプランと考えられた。
月日・天気
2015年10月5日(月) 薄曇り
実はこの日より約3か月前(7月13日)にほぼ同じメンバーで行ったが途中で引き返した。
同行者
男性:伊佐太一、原田彦正、中川幸夫、松永平介、高橋敬治、西邨顕達、川瀬孝也、計7名。女性:野藤檀、平居玲子、竹内綾子、福田豊子、計4名。合計11名。
いずれも洛北高校での同級生。
行動記録
京都駅(8:56)→JR志賀駅(9:36-:46)→琵琶湖バレイロープウェイ・山麓駅(10:02-:30)→山頂駅→木戸峠(10:45)→「大岩」(11:44)→葛川越(12:09)→烏谷山頂上(12:44-13:28)→葛川越(14:05)→「大岩」(16:28-:33)→木戸峠(15:15)→山頂駅(15:50)→山麓駅→JR志賀駅(17:00-:09)→京都駅(17:49)
ノート
JR志賀駅からロープウェイ山麓駅まで、琵琶湖バレイ提供の無料連絡バス(マイクロバス)に乗る。客の多い土日祝日は有料の江若交通バスが両駅間を走る。山麓駅周辺には広大な駐車場があり、この日は駐車している車はほとんど見当たらなかったが、スキーシーズンの休日はスキー客の車で埋め尽くされることだろう。
山頂駅を出てゴンドラが向かっていたに方向に2-3分歩くと打見山頂上に着く。そのすぐ右(東)には細長い草地が下に向かって伸びており、そこを下る。この草地は積雪期には「ジャイアント」と呼ばれる1000mのスキーコースになる。なかなかの急斜面で、下りるのはそう楽ではなかった。ここを上るのはもっとしんどいだろう。
草地を下りきったところから5分ほど東に行くと木戸峠に着く。ここから先はスキー場の施設がまったくない、山らしい雰囲気になった。ミズナラ、リョウブ、マンサクなどの落葉樹が目立つ。だが、紅/黄葉は進んでおらず、葉もほとんど落ちていない。傾斜のあまりない、気持ちのいい道を北に向かって進む。
1時間弱で「比良岳」の標識、そこから1-2分で「大岩」に着く。後でわかったのだが、この標識は本当の比良岳でなく、その東150mにある、本当の比良岳への道と縦走路の分岐点にある。「大岩」の名はどの地図でも見たことはなく、公式名称ではないが、多くの人がここで休むこと、および、道の傍らの大きな石に誰かが下手な字でこの名を書いていることから、やがてはこの名は定着するかもしれない。
比良南部地図。 朱色矢印:徒歩、緑色矢印:ゴンドラ |
「大岩」から葛川越に向かって下りる。高度差90mでかなり急な下り。葛川越の少し手前に「大岩」よりはるかに大きな岩があった。葛川越から烏谷山までもかなり急で、高度差は120m。途中に蓬莱山、打見山、比良岳が素晴らしくよく見えるスポットがあった。こういうところがあるとほっとする。
大体予定の時刻に烏谷山頂に着く。眺望は素晴らしい。今日は薄曇りだったが、北は釈迦岳、武奈ヶ岳、南は蓬莱山まで、比良の山のほとんどが見える。琵琶湖も対岸を含めてよく見えた。
帰途は来た道をそのまま引き返した。すでに1回(7月に来た部分は3回)通ったところだから苦労はなかった。ただ最後の行程である草地(ジャイアンツ・コース)の上りはしんどかった。
琵琶湖の見える山頂での食事 |
男性より元気な女性方。とても喜寿には見えない |
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