2012年4月1日
私は奥美濃の春山が好きだ。身の丈に合うと言うか、肌が合うと言うか、残雪の疎林の尾根を登り詰めると、白い頂に達する。得物がスキーであれ、ワカンであれ、アイゼンであれ、その快適さ、これぞ春山の醍醐味と思う。
ところが一つだけどうしても登れぬ山がある。奥美濃唯一の岩峰の冠山である。
初めは高校山岳部時代、先輩が越美国境、夜叉が池から冠までの縦走に挑戦、雨で敗退されたのが印象に起こっており、約50年後1999年春、実行、夜叉が池より三周、美濃俣丸、笹ヶ峰、と順調に進んだが、高倉峠手前でやはり30時間雨に降られ、エスケープした。
その後何度か計画したが、常に天候が安定せず、05年ごろ思い切って冠側よりトライしたが、猛烈な吹雪と新雪で、腰までラッセルしても国境稜線に達せず敗退した。
その後、冠、高倉峠中間の金草岳(1227m)だけは登る事が出来た。
今年、もう76歳になるし、何とか冠だけは登ってしまいたいと、チャンスを狙うも、天候不順、やっと3月20日一日だけ好天が予測され、事前に除雪状況など偵察の上、何時も春山に同行願う小林さんを誘い、前日河内第一トンネル内で幕営、翌朝4時起き6時出発で、田代尾根よりラッシュを掛けた。気温が低く,アイゼンが効き,快調に高度を稼いだが、雪が硬く1058ピークを登るにも、ステップを切らざるを得ず、下りの急斜面はピッケルが刺さらず、持参した補助ザイルも支点がなく、頂上目の前にして涙を呑んだ。
2012年3月20日 1,058Mピーク退却地点より |
次回の失敗を繰り返さない為に、9mm40m、ザイル、ハーネス、エイトカン準備、片やネットで別ルートも研究した結果、国道を詰めて冠直下やや東よりのルートも考え、好天を待った。
約10日後の3月29日、前日不良なるも好天が予測されたので28日出発、前回と同様トンネル内に幕営した。当然相当雪が減っているとの予想が、減るには減ったが、また新雪が20cm積もっているのに驚いた。
翌朝3時起き、5時出発、今度は道路幅を越すデブリや底雪崩承知の上で、国道を直下まで詰める作戦に出た。
デブリ、底雪崩跡次々乗り越し歩く事5時間、目指す直登尾根の直下に達す。左の堰堤を乗り越し、雪崩に怯えながら尾根に取り付く。新雪が緩んで滑りやすいのをしゃにむに登り、何とか尾根上に。
ところが今度は高度につれて新雪が深くなる上に重たい。終始ワカンを履いているにも拘わらず、相当沈む。それに急斜面と来ているから、全く消耗する。それでも916を越し、県境稜線が目前に見える。1時までに県境に達すれば、何とか頂上に達せられる。高度計は1,150mを指し、頂上迄高度差100m強、距離、500m指呼の距離だが,遅遅として進まず。帰り又あの恐ろしい林道を5時間歩かねばならぬし、それに気温が下がれば危険が増す。又もや敗退。
何が原因なのか。前回も今回も結局、雪なのだ。前回は硬すぎ、今回は新雪が重過ぎるのだ。
下りが又急でその上滑るので、時折ザイルを掛けながら降りた。国道も底雪崩が2度ほど近くに落ち、我々の足跡が消えている箇所が幾つもあり、緊張の連続。黙々と5時間歩き、車のあるトンネルに20時半。直ぐ車を動かして、留守本部をお願いしている四手井さんに連絡。そして運転して帰った。朝5時より16時間行動、それに3時間の運転。ああしんど。
2012年3月29日 916M尾根1,150M付近(退却) |
鎌田 克則
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