1) 12/21~23 蔵王スキー 毎年この頃蔵王で初滑りを行う事にして居る。
もうゲレンデスキーには余り興味はないが、やはりシーズン初めは雪も少ないし、且つ山スキーに備えて、やはり板と雪に馴れておく必要がある。
この頃、雪があって、アクセスが楽で、廉価で行けるところとなると、日本中捜して先ず蔵王が一番である。簡単な話が、朝伊丹から飛んで仙台、直結バスで11時半には宿に到着、簡単に食事を取って、12時半には宿前より滑り出し、ゴンドラ一基で、蔵王の上部に達する。ゲレンデはガラガラ、広いし思い切り一日分滑れる。今年なんかあのモンスターもほぼ出来上がっていた。
帰りも3時ごろ宿を出て,同ルートで、9時ごろ家に帰れる。今回は2泊3日だったが、3日間で充分堪能できた。しかも交通、宿一切入れて4万円程である。この頃滑れるのは、志賀高原あたりだが、時間、コストを考えると断然有利です。何年も続けているので、一寸したノウハウがあるので、関心があれば、私に問い合わせてください。
2)1月3日 湖北余呉 栃の木峠付近、山スキー このブログに、正月にたるんだ体を雪に晒しませんかと呼びかけました。ところが3人よりスノウシュウもあるし是非行きたいが、色々事情で行けぬとの連絡を頂きましたが、肝心行くと言う人は一人もありません。止む無く娘婿、娘、家内に湖北の雪を見せてやるとたらかして、車で木の本より、北国街道の突き当たり、余呉高原スキー場入り口付近まで送ってもらう。後は湖北を観光して2時半に迎えに来る様に。
先ず携帯TELテスト(以外によく通じた)、スキーにシール、ビーコン,GPS、無線等フルセット、直ぐ東のベルグ余呉スキー場(何年も休業中)の車道を登りだす。道幅は広く適度の斜度の車道が栃の木峠稜線より少し東南より南下する高原状(スキー場)の尾根まで通じている。快適なシール登行1時間強、元スキー場部分に達する。雪は1.5mぐらいあろうか。立派なリフト設備や建物が淋しく建って居る。正しく兵どもの夢のあと。これに投資した人には気の毒な話だ。
建物の陰で熱い紅茶に粗末なパン、久しぶりの雪山だけに美味しい。
さて高原状の尾根を北上し、緩やかなピークを越える頃から藪が出だす。スキー場を抜けたのであろう。途中から電話線の電柱が併行する。緩い下りもシールが滑り、少々の凹凸も気にせず進む事小一時間、先に見える高圧線の位置から、栃の木峠より音波山に向かう稜線に達した。念のためGPSでも確認。早速娘婿に電話、予定通りの迎えを頼み、元のシュプールを一目散に戻る。
スキー場から下る地点でシールを外す。昨夜念入りに掛けたWAXが威力発揮。あれよあれよと言う間に、広幅の車道をジグザグに殆どノンストップ、俺こんなに上手かったかなあと思う程、要は雪が適度に固まって、圧雪状態と変わらないのだ。予定より15分早く下車場所に到着。
考えれば、長いリフト一本分ぐらいの登り下りなのに、何故か大満足。ここが山スキーの止められないところです。
帰りは海津大崎を廻り、白髭神社にお参り、夕食は少々高くついたが、なかなかバラエティーに富んだ一日でした。
3)新穂、菅平,鹿沢高原、スキー行脚 昔から鹿沢高原の国民休暇村に泊まって、あの辺りを滑ってみたかった。
昨年末、友人で温泉好きの軟弱スキーヤー等より、宿が取れたと連絡あり、少なくとも四阿山の隣の根子岳、湯の丸山に登らしてもらう条件で参加。一日目は新穂の温泉。翌朝一寸西穂にもよろめいたが、天気悪く平湯トンネル抜けて、高速で長野経由菅平に向かう。ダボスがどんな所か知らないが、それとよく似ているとか、要はだだつ広い、あちこちスキー場のある所だ。
私は根子岳(2207m)偵察に出掛ける。友人たちは、近所の温泉でゆっくりすると言う。あちこちリフトが多くて、根子岳に近いリフトを捜し乗ってみる。地図で予想していたが、想像以上に緩斜面である。
リフトの最終地点からも緩斜面が続く。要は高い方向に進めば勝手に頂上に着く感だ。頂上もそれ程遠くないと見当つけて、戻る事にする。下りは殆ど直滑降に近い。友人と合流、鹿沢の国民休暇村に向かう。鳥居峠付近で、夕焼けに染まる北アルプスを見る。
翌朝再度ダボススキー場へ。友人たちは、ゲレンデで、私は1時ごろには戻ると云って根子岳に、昨日のルートの先を行く。所々雪が少なくて笹が出ている。しかし大勢登ったシュプールを伝うのだから支障なし。あのゲレンデでは斜度不足で友人たちから不満の出るのは見えている。飲まず食わずで必死に登る.登り2時間と踏んだが、頂上近くと思ったところよりもっと先に頂上が見える。その頃より森林地帯となり進み難い。下山者より頂上までスキーでいけるが、笹の上の雪で滑りにくいと聞く。
やっと根子岳頂上(2207m)。可愛らしい祠がある。見晴らしは一寸曇りで良くない。しかし風が無いのが何よりだ。多分高校スキー部員と思われる若い連中が、大勢牧場の方から上ってくる。皆元気で立派な装備である。
頂上で八方写真を撮り、シールを外し、早々に滑り出す。下りになって解った事は、一寸シュプールから外れて新雪に突っ込むと、笹の中にスキーが入り、動きが取れないのだ。それに岩も出ている。案内書に頂上手前でスキーをデポするように書いてあった理由が解る。
既に予定より遅れ、且つ人を待たせているので焦る。それに飲まず食わずが悪かった。足やあちこちが急に釣る感じ。疲れも出て体に粘りが出ない。大転倒を3度ほどやる。自信喪失。そこに又又若い連中にあっさり追い抜いて行く。このベテランを何と思っているのか。
取敢えず、少々腹に入れ、格好構わず一目散に下る。ゲレンデが見えたところからは条件良し。一時間遅れの詫びの連絡を入れて集合場所へ。友人たちは初めから間に合うとは思っていなかった様だ。
それにしても歳を考えずに焦って登ったのが悪かった。特にシール登行はゆっくりが大原則。反省することしきり。
帰りは浅間を見に行く。休暇村でビユウポイントを聞いてきた場所に行く。さすが美しい。噴火が不規則で、結構変化があるのだ。昔ジャワ島の最高峰、スメルという火山に登ったとき、目の前で音も無く大噴火をしたことを思い出す。
正面の四阿(アズマ)山、その右は白根より志賀高原の山並み、その右は日光、尾瀬方面であろう。白くて雄大な風景である。一寸こんな平らな雄大さは、むしろ北海道か大陸的の風景だ。
翌日湯の丸山方面に向かう。ここが彼の有名な「雪山賛歌」の発祥の地だ。初め知ったのは湯の丸スキー場の上部にあった看板だった。休暇村の人の聞くと記念碑があると言う。人に聞きながら捜すと、何と湯の丸登山口で、手前に寂れた旧鹿沢温泉紅葉館がある。
記念碑には、雪山賛歌の一番と最後が銅版上に書かれている。隣にその由来も詳しく書かれていた。要は大正15年1月、京都帝国大学山岳部が鹿沢温泉にスキー合宿をした。その終了後新鹿沢温泉に泊まった西堀栄三郎、四手井綱彦(当会靖彦さんの父上)酒戸弥次郎、渡辺斬の4人が吹雪に閉じ込められ、退屈紛れに、いとしのクレメンタインのメロデイーに、上の句、下の句と持ち寄って作り上げたと言う。西堀栄三郎さんの著書に、「薄暗い部屋で,四手井君が、一句一句出来るはしから書き止めたのを思い出す」と書かれているそうです。違和感を覚えるのは、我々はこれを三高山岳部の部歌と思っていることです。帰ってネットで調べたら、戦後京大山岳部員がこの歌を寮歌に加え、それが一般にも歌われ始め、そして三高山岳部で歌い継がれ、いつの間にか三高校歌集に組み入れられたのが原因の様です。面白いのは、作者不詳となっていたのを、桑原武夫さんが、作詞は西堀だと著作権登録をされ、この印税は京大山岳部の活動の大きな資金源になったと言う。
しかし残念な事に、出掛ける前、事務所の若い女性に聞いてみた。「雪山賛歌って知ってるか。」「知りません」「ほらダークダックスが歌ってたやんか」「ダークダックスなんて聞いたこともありません」と云うぐらい、もう昔の話なのです。又誰かが歌ってくれない事には消えてしまいます。
さてその湯の丸山、目前に丸いドーム状の山が見えるのだが、一見しただけで藪だらけ、雪は1m前後と思われるが、その程度では藪は埋まらないのだ。考えれば、昔は多雪で閉じ込められる程だったのだ。昨日の事もあるので、あっさり登るのを諦める。
ここは草津温泉や、尾瀬に行くとき、時折通るのだが、道路に仕掛けがある。今は雪があって無理だが、無雪期に自速四〇kmで走ると、あの雪山賛歌が聞こえるのだ。昨年6月通った時、タイヤがウーウー鳴ったが何のことやら解らなかったが、草津温泉近くなって、又ウーウー言うので耳を澄ますと、なんと「草津よいとこ一度はおいで~」と聞こえるのだ。今度湯の丸峠を通るときには耳を済ませたいものだ。
天気もパッとせず、小諸を経由、八ケ岳を散策、諏訪湖に泊まり、翌朝諏訪神社にお参り、ゆっくり帰阪した。山は一発だったが、温泉を堪能した。たまにはこんな旅も良い。
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