「みなこ」山か「みなご」山か
7月の初めの土曜日、出町柳から朽木行きのバスに乗った。ザックを担いだおじちゃん、おばちゃんたちで満員だった。大方は坊村で降りた。比良に向かうように思われた。車内でおしゃべりグループの話を、聞くともなしに聞いていた。物識り顔の一人のおじちゃんが、盛んに「みなこ山」と言っていた。「それは、『みなご』と違うんけ」と、私は腹の中で考えていた。
15日の朝日の夕刊に、「京都の皆子山 男女5人保護」という記事が載っていた。山頂近くで動けなくなり、ケータイで救助を求めたちょっととろい遭難の話である。記事中で「皆子」に「みなこ」のルビがついていた。毎日も同じだったらしい。警察がそう発表したかもしれない。今日、新聞はとても信頼できると存在とは言えないが、これらの例から察すると、世間一般には「みなこ山」が定着しているようである。どちらが正しいか、この際、調べておく必要があると思うに至った。むろん、私は「みなご」派である。
私にどこで「みなご」が刷り込まれたか、はっきりした記憶がない。鴨沂の山岳部が「みなご」だったように思う。だから自然に「みなご」派になった。鴨沂の同期、大浦範行に聞くと、「どっちもあるが、やはり『みなご』とちゃうか」と言う。この手の話は一中山岳部に聞かねばなるまい。一中OB、北山の会事務局長の川井久造は「『みなこ』やったかな」と意外な返事であった。
もしかすると、今西錦司が「みなご」と言っていたかもしれない。ご承知のように、この山の命名者は今西である。「皆子山、高谷山、焼杉などもやはり私どものつけた名前であるが、多少土地の人の呼称を参考にしたものである」と、今西は「山岳省察(初出:一中山岳部報『嶺』第2号)」に書いている。だが、残念ながら、読み方については記述がない。「皆子」はどうせ当て字だろうが、地元の人が山名を「みなこ」などハイカラな女性名で呼ぶだろうか。やはり田舎くさい、濁点の混じった「みなご」のほうがぴったりくる。命名者にしっかり確認しておくべきであった。
今西が令嬢に「皆子」と名付けているのはつとに知られている。この場合はむろん、「みなこ」である。令嬢に「みなごはん」と呼んだら、きっと怒るだろう。だが、もともと「みなご」だった山名を、一部にせよ、後に「みなこ」に変えてしまったとしたら、「『悪貨が良貨を駆逐する』という言葉がある。同じ名前の山を別々に呼んでいるところがあるが、これでは恰好がつかない」と、正しい山名の統一と継承を呼びかけた今西は怒るだろう(京都府山岳連盟創立30周年記念講演、「京都北山からヒマラヤへ」)。
ちなみに、一中山岳部報第3号「山城三十山記」上篇で皆子山を紹介している大橋秀一郎は「陸測地図上においては全くの無名峰。唯971.5米の頭といふに過ぎない。が然し、名称の由来は未だ知る所ではないが、『皆子山』と称している」とだけ書いている。一中山岳部報第3号が出たのが1934(昭和9)年12月、今西の「山城三十山」(初出のタイトルは「山城三十山の修正と拡張など」)が載った「嶺2号」の発行が同年1月だから、大橋が山名の由来をまったく知らないはずはない。それはよいとして、初めてこの山を紹介する資料には、ルビをつけておく配慮がほしかった。梅棹忠夫さんが生きてはったら、すぐ電話で聞くのだが。
少し他の分献に当ってみた。「京都府の山」(山と渓谷社)は「みなこ」を採っている。「山城三十山」(ナカニシヤ)も同じである。ともに、根拠は示していない。一方、京都山の会の横田和雄著「京都府の三角点峰」(同山岳会出版局)は「みなご」としている。
横田は「ミナゴ」という呼称の成り立ちは、川の上流に広がる美しい(ミ)、白いガレの見える平地(ナゴ)を指すという説や、南(ミナ)、川(ゴ)に由来する説があるという西尾寿一同会会長の説を紹介している。博識で知られる西尾の説にはそれなりの説得力がある。ちなみに、「山渓関西」(2002年5月)も「みなご」を採用している。山渓には統一性がない。
当節、インターネットも覗いてみる必要があろう。皆子山岳会はもちろん、「Wikipedia」をはじめ、検索したうちで「皆子」にルビのついていた5,6件のすべてが「みなご」であった。もとより、多数決で決めるものではないが、こちらが圧倒的に優勢と思えるが、いかがなものか。
さて、諸兄はこの点についてどう思われるだろうか。ぜひ、ご意見を賜りたい。もし、「みなこ」説が正しいという結論に至れば、ただちに「みなご」を捨てて、「みなこ」に転向するにやぶさかではない。
(2011年8月17日)
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