2014年8月12日火曜日

東北夏祭りとその周辺彷徨写真報告 鎌田克則

日本の祭りをそこそこ見たけれど、東北の祭りはその迫力さ、地域の熱烈な参加意欲と、その純粋さに感動する。10年ほど前一度訪れたが、何とも忘れ難く、再度訪れる事にした。そして、もう一つの目的は、来シーズンの山スキーの拠点を探すことだった。


①まず秋田に飛ぶ。今春の春スキーの時と同じくカナダ製の小さなプロペラ機。遅くて低く飛び、何時も北アルプス上空を飛ぶ。前回は槍や穂高が手に取るように見えたが、今度は黒部湖だった。








②秋田で顏なじみになったレンタカー屋さんで日産の車を安く借り、先ずは田沢湖方面へ。何時も角館を通る事になる。夏で緑緑していて人も少ない。
スキー拠点として、秋田駒の南の国見温泉、雫石スキー場等を見ながら国民休暇村網張温泉へ。今春ここから三ツ石山に登った所だ。湯が良いので浸かっているうちに、盛岡さんさん祭りに行くのを諦め、飲んで寝てしまった。




③今日は八幡平をじっくり廻って、あと八甲田に向かう計画。小岩井牧場の北側より、岩手山の東側を回り、八幡平温泉郷、松川温泉を偵察、樹海ラインを経由、後生掛温泉へ。やはりここは温泉の規模も大きく、冬も除雪されており、八幡平全般が緩やかな山並みなので、山スキーの拠点としては申し分なし。但しアクセスがやや困難。
その後東北道を使って青森へ。ねぶた祭りの準備状況や、ワッセラー(ねぶた祭りの掛け声)会館で過去の優秀作品を存分に見学後、八甲田山酸ヶ湯へ。八戸三社祭り、青森ねぶた、五所川原立佞武多の拠点として、湯治棟3泊予約済みなのだ。


④朝から快晴。まず八甲田山をぐるりと一周。どこから見ても、スキーで登った山ばかり。酸ヶ湯では三浦敬三、雄一郎さん等の古い写真が多かった。彼等もやはり酸ヶ湯を拠点としていたのだ。私もここが山スキーの最後の拠点となるように思う。
ガイドに聞くと、最近はセンターで90mm~100mmのやや幅広のスキーが適切だとの事。今シーズンは、トロアバレーより帰った後、幅広スキーを用意してここに出て来るべしかと考える。



⑤田代湿原では色とりどりの花が咲いていた。人も少なく花の楽園の感。









⑥実はうちの庭屋さんが八戸の生まれ。先日家に来たので八戸に行くと伝えたら、是非新幹線の八戸駅の近くの八食センターの回転ずしが美味いと言う。十和田湖経由、奥入瀬渓谷を下り、一途に八食センターへ。成程満席。待たされてやっとテーブルへ。さすがネタが大きく新鮮。隣のおばちゃんが豪快に注文するので連れて注文して美味い美味いと食っていたら、結構な値段だった。考えればうまいと聞いたが、安いとは聞かなかった。
八戸の三社祭りを見る。昼間の祭りで、電線の無い所、幅広の道になると正面が左右に開いたり、上部が一層立ち上がったり変化するところが面白い。それに正面に子供が数人、真剣に太鼓をたたく所がいじらしい。相当練習した筈だ。

⑦⑧次は急いで青森のねぶたへ。下北半島の根元を斜めに横断。青森に急ぐ。さすが六ヶ所村に近くだけに、やたらと高圧電線が多い。思い切り突っ走ったが祭りが始まってしまった。太鼓の響きに気がはやるが、一方通行が多く、駐車場も解らない。近くまで来て薬屋の灯りが見えたので飛び込み訪ねたら、今店を閉めるから、うちの前に置いときなはれ(とは京都弁?)との事。置かしてもらって教えられる通り進めば祭りたけなわ。その規模、屋台の大きさ、迫力,太鼓、参加人数共これ以上の物はない。思わず熱が入る。
特に子供、娘、若者が真剣に取り組んでいる姿。要は市民と祭りとが一体化しているのだ。存分に見た後、コンビニでおにぎり、酒、つまみを仕入れて酸ヶ湯に戻る。勿論湯につかって、思い思い飲み且つ食べる。大いなる一日でした。



 ⑨⑩⑪今日は五所川原の立佞武多の日だ。但し夜なので昼間津軽半島先端の竜飛岬を訪ねる事にする。来月私は間宮林蔵の足跡を訪ねて、サハリン南北約1000kmを往復するだけに関心が高い。間宮林蔵は江戸と津軽、松前、宗谷を何度も行き来している。当然竜飛岬から蝦夷の松前に小さな船で渡ったことだろう。
さぞかし淋しい所と思いきや、新幹線の線路が走っている。何と竜飛岬は北海道に至る青函トンネルの入り口なのだ。且つそれを新幹線にすべく工事が行われている
それを外れると[津軽海峡冬景色]の世界だ。思わず口ずさむ。今は連絡船に乗った人は稀と思う。私は大学1年の頃、大阪から「急行日本海」で23時間半、青森へ。そこで連絡船に乗った。35百tと大きな船だったが、夜中ローリングして気分が悪くなったことを思い出す。冬なら当然「津軽海峡冬景色」だろう。
竜飛岬に着くと天気が悪い。アンテナの先に松前方面がうっすらと見える。距離で23kmとか。これなら好天日なら小さな船でも渡れない事は無い。しかしこれが宗谷岬ならサハリン南端まで42kmとか。何度も稚内から北を望んだことがあるが、サハリンを見たことは無い。この9月初めロシアの船で、コルサコフ迄7時間かけて渡る。江戸幕府は、北方防備の為、サハリン南部の知主に番所を設けていたし、幕府の役人は行き来していたのだ。大したものだ。
近くに青函トンネル記念館がある。覗いてみると世界最長の海底トンネルなのだ。その規模、工法に驚くばかり。


⑫帰りは津軽半島の日本海側を行く。やはり本州北端の思いが迫る。










⑬⑭五所川原に急ぐ。途中の道の駅で祭りの情報を得。エルムと言う大駐車場に行けば、連絡バスが出ているとの由、一路それに向かう。
これが五所川原の立佞武多。その高さはビルの10階建ぐらいありそう。青森のねぶたを立てにした感じ。それが次から次とやってくる.壮観である。
あんぐり、たっぷり祭りを見た後、又コンビニで夜食を仕入れて又酸ヶ湯へ。毎夜10時半ごろの帰宿である。




⑮⑯これは秋田の竿燈祭り。当日天気が悪いので白神山地訪問を諦め、今春頂上を逃がしただけでなく、同行の高鍬さんが9mの雪庇?から落ちた吉森山に向かう。鹿角ICから吉森ダムを狙ったが通行不能。大館市廻りで近づくが天候いよいよ悪く、ゴンドラは動いていることは解ったがとても登れない。ほんとに何時も天候の悪い山だ。山麓の案内書で見るパンフレットでは春夏秋冬楽しめる魅力ある山である。今度は秋に来よう。そして来年の5月の残雪の頃が我々に向いているようだ。
秋田市に向かう。途中仕入れた案内で、指定の駐車場に車を止め、早いうちから大阪より持参した小さな携帯椅子を一等地にセット、祭りを待つ。一杯は飲めないが、だんだん高まる祭りの雰囲気も楽しみだ。
一斉に提灯を付けた棹だけを横にしたまま行進を始め、適当に配置が決まると、太鼓と共に、一斉に立てるのだ。概ね10分ぐらい。壮観としか言いようがない。高いのになると、50kgあると言う。それを曲芸並みに掲げるのだ。当然何人も交代する。時折倒れるのもある。子供は子供なりに頑張る。皆さんこの日のためにどれだけ練習したことだろう。
そして行進。又立てる。それが三回。丁度三回目に雨が降って来て早い目に退参。高速で横手のかんぽへ。これ又10時半到着。


⑰今日は夕刻秋田空港から帰る日。相変わらず天候悪く、それでも横手城を見た後、一縷の望みを掛けて、鳥海山に向かう。北面の矢島牧場辺りより南を眺めたが、鳥海山はあるべきところにうっすらと、以前は真っ白な鳥海山が驚くほど大きく見えたのに残念。そのまま下って秋田空港へ。明るいうちに飛んだので、雲の上に鳥海が出ないかと見張ったが駄目。





⑱しかし中部山岳辺りで富士山が左に見えた。まあこれで満足すべきや。









                                終わり。