笹ヶ峰-火打山
はじめに
火打山(2462m)は新潟県の西端近くに位置し,その西の活火山・焼山(2400m),東南の休火山・妙高山(2454m)などとともに一つの山塊(頚城山塊)をつくっている.先月(7月)これらの山の麓の京大ヒュッテと山上の高谷の池ヒュッテを利用して火打山に登ってきた.私がこの山に最後に登ったのは1958年夏だから,55年ぶりの登頂ということになる.
私が火打山に初めて登ったのは1955年3月,高校1年の春休みで,同級生部員の仲田道彦くん,尾西寛司くんと一緒であった.私たちは京大ヒュッテのそばの営林署小屋に泊り,日帰りで登った.スキーにシールを着けて上がり,下りはそれを外して滑って下りた.積雪期に高校1年生だけで登ったということは,年齢の割に,体力,ルートファインディング,そしてとりわけ山スキーの技術が,なかなかのものであった,ということだろう.今はそんな馬力はないし,スキーはサルの研究を初めて以後50年以上やっていないのでまったくダメだろう.
1957年に京大に入り,山岳部にも入った.すると,夏の数日間を笹ヶ峰ヒュッテに泊り,毎日火打山に登ることは部員,とりわけ1年と2年部員にとってほとんど義務となった.それは次のような理由からである.ヒュッテは夏季には一般に開放され,毎日数十人が宿泊し,彼らからもらう宿泊費がクラブの重要な資金になる.いっぽう部員は彼らのお世話をせねばならなかった.お世話というのは主として食事を作る手伝いと登山のガイドで,登る山はほとんどの場合火打山であった.火打山登山はすべて日帰りで,ヒュッテを出てそこにもどるまで平均8時間であった.ガイドしたお客のほとんどは女子大生で,普通の運動靴で雪の上でも平気で歩き,すこぶる元気であった.
今年の5月中ごろ,芦見谷の須川邸に,久しぶりに京都に来ている田中二郎をかこんで,同級の太田亙,上嶌秀夫,後藤二郎が集まり,それに森山英隆と私が加わった.その席で一緒に山に登らないかという話しになり,それでは京大ヒュッテに泊って,火打山に登ろうではないかと田中二郎が提案した.彼は長年京大山岳部・部長をやっており,1999年の笹ヶ峰ヒュッテ大改築では,建設委員長,募金委員長として大きな貢献をした.2004年に定年を迎え,それ以後現在まで安曇野市・穂高に住み,笹ヶ峰には毎年数回来ている.彼ほど,笹ヶ峰と火打山をまことによく知っている.
プランの細かいところは彼と私で決めて行った.私たちの一致した意見は「年齢を考えて無理をしない」ということである.具体的には,学生時代のように,笹ヶ峰から火打山往復を日帰りでやるのではなく,高谷の池ヒュッテで1泊し,2日がかりで登ることにした.田中や私と近い世代の京大山岳部OBが,かつて女子大生と8時間ほどで楽々往復できた,という記憶に基づき日帰りプランをたてたが,彼らのどのパーティーも12時間ほどかかり,へとへとになってヒュッテにもどっている.70代になったら,体力・脚力は20代の時の半分,よくて3分の2と思ってプランを立てるべきである.
今回の1泊2日プランは大変よかったと思っている.初日は6時間弱歩いて,小屋に泊り,十分睡眠をとることができた.おかげで翌日は10時間歩き,しかも8時間はどしゃ降りにちかい雨のなかであったが,快調であった.
山行要約
メンバー
田中二郎(洛8),上嶌秀夫(洛8),須川眞一(洛8),須川昌子(真一氏夫人),西邨顕達(洛6),高鍬 博(鴨19) 以上6名,これ以外に京大ヒュッテには来たが,山に登らなかったもの:後藤二郎(洛8),井上和夫(洛8),伊達 豊(洛8),西邨恵美子 以上4名,総計10名.
時間記録
2013年7月22日. 高鍬,西邨,後藤,伊達,田中の車に分乗し,14~17時に笹ヶ峰京大ヒュッテに集合.夕食は西邨が前日に作っておいたカレー.食前,食後は運んできたビール,ワイン,酒,種々のオードブルで盛り上がる.
7月23日.登り口(駐車場) 8:36 →黒沢 9:54-10:08→ 「十二曲がり」 11:05-11:10 → 富士見平(昼食) 12:30-13:12 →高谷の池ヒュッテ 14:14--.夕食(17:30)まで飲む.ヒュッテ提供の夕食はカレー!! 19:30 には全員就寝.
7月24日.起床 5:00,朝食 5:30.高谷の池ヒュッテ 6:25 →天狗の庭 7:00 → 火打山頂上 8:50-9:00 →高谷の池ヒュッテ(昼食) 10:37-11:32 →富士見平 12:35 →「十二曲がり」 13:56-14:18→黒沢 15:06 →登り口(駐車場)16:45.
火打山頂上に着く少し前から降りだす.高谷の池ヒュッテに下りて来た時は本降りになる.それで早いがここで昼食.以後下りは最後までほとんどドシャ降り.昌子さんは昨日に続き,頂上まではすこぶる快調.しかし下りはバテバテで,何十回も尻もちをつく.また,高鍬が十二曲がりの上の大きな丸岩の多い難所で,あわや頭を打つかという転倒をする.
夕食は須川が用意したバーベキュー.
7月25日.朝食はパン,コーヒー,ベーコンエッグ,リンゴ.朝食後部屋を掃除して解散.