骨折するまで
1月12日に関空を合計14名で勇躍飛び立って、スイスサンモリッツに行きました。前回のトロアバレーは一週間快晴でしたが、サンモリッツは毎日細かい雪が降り続いていました。
ゲレンデにはクラストした堅い雪に薄く新雪が載っており、時々エッジの引っかかりを感じながら滑っていました。オフピステは更に堅くて強い凹凸が新雪で隠されていました。それでも温度が低くて軽い雪を楽しみながら滑りました。ホテルに帰ってからはプールで泳いだりしてClub Medのホテル生活を楽しみました。
滑り初めて二日目の15日の夕方、ホテルへの林道滑降でエッジが引っかかり、翌日骨折することになる右スキーが外れました。そのときは転倒することもなく、すぐにつけ直してホテルに帰りました。
三日目の16日も細かい雪が降っていて景色は楽しめませんでしたが、ロープウェーで上がり、ガイドに従って気持ちよく滑っていました。比較的急斜面でガイドが交互に片足滑降を始めたので私もすぐそれに続きました。急斜面から長い緩斜面に変わったので直滑降するガイドの背中を見ながら、私も直滑降に移った直後に、右スキーのエッジが引っかかって転倒しましたが、右膝を見るとあり得ない方向に曲がっていました。瞬時に事態を覚った私は、大声で「Turnia! stop! My leg was broken!」と叫びました。幸いそのときはガイドのターニァのすぐ後ろを滑っていたので、私の後ろを滑っていた上嶌さんたち仲間が私の側に来てくれました。間もなくレスキュー隊が到着したのでターニャはメンバーを連れて滑降を再開しました。
緊急入院
私は一人スノーボートに寝かされて道路まで降ろされました。揺れるたびに膝が痛みました。また寒くて震え出しました。救急車に乗った後で腹の上に保温剤を乗せてくれたので少し暖まりました。車内でサンモリッツのclinicに行くか遠くのhospitalに行くかどうすると聞かれました。hospitalに行く方が良いように思いましたが、早く行きたいこともあり咄嗟にclinicを選びました。間もなく着いたところはKlinik GUTでした。そこで通常通り病歴を聞かれてレントゲン写真を撮りました。写真を見ると、予想通り右膝の下の骨が複雑に折れていました。骨折は膝関節の中に複雑に及んでおり、骨折としては最悪のパターンでした。医者は「Bad fractures」と言いながら、すぐに手術を勧めて来ました。それを聞いて「エッここで?」と驚きました。clinicとは診療所です。日本の診療所でこんな骨折の手術ができるところは有りません。私はhospitalに行かなかったことを後悔しました。逡巡した結果、今更移動も時間がかかるし、ここで手術せざるを得ないと思い始めていました。すると口髭の男が紙を持ってきて説明を始めました。それは治療費に約250万円かかるのでその支払いについてでした。保険は持っているか、クレジットカードを持っているかと聞かれたので「ホテルにある」と言いました。彼は私が何も持っていない事が不満なようでしたが、結局治療費を承諾する用紙にサインをするだけで手術が決まりました。手術前にMRI写真を撮ったので「MRIがある程度の大きな施設なので診療所よりはましかな」と少し安心しました。また術前に専門の麻酔科医が説明に来ました。日本の診療所に専門の麻酔科医がいることはまず無いので更に安心できました。私がどこに行ったのかを鎌田さんや上嶌さん達は知らないはずなので、ホテルに電話をしました。ちょうど上嶌さん達が昼食のためにホテルに帰っている頃なのですが、部屋には誰もいないようでした。残念ながら誰とも話ができなかったので、私がKlinik GUTに入院したことの伝言を頼んで 私は14時に手術室に入りました。18時に目が覚めた時は左図ように、私の右膝下に金属板とボルトが何本も埋め込まれていました。
病室に戻ると伝言用紙を渡されたので、皆さんが心配して17時頃に来てくださっていたことを知りました。また夜には鎌田さんや上嶌さん達が心配して再び来てくださいました。金庫の鍵をお渡しして、海外旅行保険証やクレジットカードなど必要なものを持ってきていただくようお願いしました。同室の上嶌さんには種々の物品の搬送や帰国のための荷物のパッキングで大変お世話になりました。また鎌田さんは旅行会社や保険会社との連絡をしてくださり、私が病室で寝ている間に全ての手続きを済ませてくださいました。鎌田さんのお手配が無ければ、入院も帰国もかなり困難なことになったと思います。中村さんや倉橋さん達も寒い中をわざわざお見舞いに来ていただきました。ありがとうございます。
スイスの医療事情
海外で入院するのは勿論初めてですが、実に貴重な経験でした。術後目が覚めて尿道バルーンカテーテルが無いことに気づきました。日本での手術ならバルーンカテーテルが通常入っています。翌日普通食を食べたら点滴も無くなりました。日本でなら、少なくとも抗生剤の点滴を4-5日続けることが多いです。どちらも医者に確認すると、尿道バルーンカテーテルは不要だし、抗生剤は術中に一度使用するだけだと言っていました。更に驚いたのが、手術翌日の17日の朝に理学療法士が来て、松葉杖を使って歩けと言うのです。日本でならまだベッドから降りることは無いでしょう。理学療法士に支えられながら病室内をそろそろ歩きました。
18日には廊下を歩き、19日には階段の昇降をしました。日本でなら病室内をそろそろ歩くかどうかと言う状態だと思います。
19日からはシャワー室にも行くことができて、リフレッシュすることができました。
あり得ないほどリハビリの進行が速いので医者に確認すると、21日には退院してあとは外来で6-8週間リハビリをすれば良いとの事でした。
日本でこれだけ重傷の骨折をすれば少なくとも一ヶ月は入院になります。たった5日で退院とは驚きました。
しかし、実際に廊下も階段も歩けるので日常生活に大きな問題は無く、退院できそうに思いました。医療費の払方などいろんな点で日本とは異なるためもあるのですが、スイスのやり方の方が良さそうに思えました。
メールで日本にいる友人の整形外科医に写真などを送り、帰国後の治療について相談すると、いきなりの外来リハビリには流石に難色を示されました。帰国にあわせて入院予約をしていてくれたので、それに従ってとりあえず現在入院中ですが、26日(土)には退院の予定です。
スイスの入院生活
入院費も違うので、今入院している日本の病院と比べられませんが、スイスのクリニックの入院生活は良かったです。ドイツ語しかしゃべれない看護師もいましたが、ほとんどの看護師は私が話す英語程度の英語は話しましたし、意志の疎通に不自由はしませんでした。食事も日本のようにあてがいぶちの食事でなく、翌日の食事は何にするか毎日聞きにきました。三食だけでなく、食間に果物やお菓子を持ってきますし、飲み物は要らないか、コーヒーが良いかblack tea かgreen teaかなどと聞きに来てくれました。green teaがほしいと言っても、ケーキや砂糖が付いてくるのが日本人としてはやや奇異に思いました。それでも美人のスイス人看護師がニコッと微笑みながら持ってくると「Thank you very much!」と言わざるを得ませんでした。スイスと日本の看護師さんの違いで一つ気がついたことは、彼女らの患者への配慮です。私は右膝が伸びたままで、下着の着替えが一人ではできませんでした。このような場合日本でなら看護師さんが私の一物を見ることをほとんどいとわず、着替えのサポートをします。ですから貧弱な私の一物をスイス女性の目にさらすのは嫌でしたが仕方がないと、諦めていました。しかし、彼女らは実にうまく私の一物を見ないようにして私に着替えさせました。彼女らが見たくないためにそうしているのかも知れませんが、明らかに日本の看護師さんとは異なりました。
帰国、再入院
鎌田さんのご配慮によりAIUアシスタントセンターで帰国便の予約がしてもらえました。またパリからフランソワ看護師がサンモリッツまで来てくれて日本の自宅まで付き添ってくれることになりました。21日の早朝4時過ぎにフランソワに付き添われ、Klinik GUTの優しかった看護師さんに見送られながら小雪の降るサンモリッツを寝台車で出発しました。ジュネーブに着いてアムステルダムへの飛行機に乗りましたが、KLMが用意した前後二つの座席をつなぐ座席では脚を伸ばしたまま横になれませんでした。それを見たフランソワが血相を変えて文句を言ってくれたおかげで、もっと広い場所を確保してもらえました。あれはとても私ではできません。アムステルダムではビジネスクラスのラウンジで軽食を摂りながら時間待ちをして、関空行きのKLMに乗り込みました。ビジネスクラスで飛行中は脚を伸ばして寝られるのですが、離着陸時はシートを起こさなければなりません。曲がらない脚の下にバッグなどを入れたいと言ったら非情にも駄目だと言われました。仕方がないので両手で右脚を持ち上げました。離陸までの数分の事だろうと思っていましたが、機体に雪が着いているのでその除雪をしなければならないとの事で、離陸まで小一時間かかりました。その間手で支え続けるのは苦痛でした。そのうち何とか離陸してくれて寝ることができました。機内で看護師さんに注射をされたりしながら22日の昼前に関空に着陸しました。用意してあった車で高速を走って自宅に無事到着。この後京都に三泊して京都見物をするというフランソワを見送りました。同夜私の右脚はこれ以上ないほど腫れ上がっていました。動かせない脚ですからビジネスクラスに乗ってきてもエコノミー症候群になっても不思議はありません。その夜に寝ている間に肺塞栓で死ぬかも知れないなどと思いながら寝ましたが、翌23日無事目が覚めました。
予定通り9時に受診してそのまま入院となりました。同病院には同級生が三人勤めていますが、聞きつけて順次見舞いに来てくれました。
整形外科の主治医には日本での通常の治療経過とは異なるが、入院は数日にして、後は外来でのリハビリにしてもらうよう頼みました。何分こちらの方が大分先輩なので逆らえず、了承してもらえました。私が医者をしている頃も、一番やりにくい患者は医者でしたが、私もそのような患者になってしまっているのだろうなと思いながら、それでも無理を言いました。
骨折で学んだこと
一番大事な今回の骨折の原因ですが、一言で言うと油断です。急傾斜を過ぎて緩斜面になったとき、スピードはそれなりに出ているのに、力を抜いて棒立ちになりました。棒立ちになっている右脚のスキーのエッジが、新雪の下の堅い雪に引っかかったのにビンディングが外れなくて膝が折れました。転倒して骨折したと言うより、骨折したので転倒しました。緩斜面にかかるからと言って油断して棒立ちになっては駄目です。当たり前のことかも知れませんが、今シーズンのスキーを棒に振って自覚したことです。またAIUの保険はいいですね。勿論私が病室で看護師さんと話をしている間にもパリや日本と連絡をとって下さった鎌田さんたちのお陰なのですが、いくらお金をかけてもあのような手配は素人では出来ません。家族の救援は三人まで認められ、帰国まで日にちが有ればホテル代も2週間までなら出してもらえるそうです。女房や子供は仕事が有り、行くことが出来ませんでしたが、姉や妹たちはもっと早く聞いていれば是非行ったのにと、私の不幸をスイス無銭旅行の手段にしようとしていました。
入院中で暇とは言いながら長文になりました。
なお病院からネットにはアクセスできますが、私のプロバイダーからのメール送信ができませんので、メールを失礼しています。退院後送信させていただきます。