天気の良いし、それに車は人に貸して無い。直前に白馬大雪渓のTVを見て、白馬も良いなあと思った。しかし数少ない同行可能者に振られ、それなら北山を一泊二日で一人自在に歩いてみようと言う気になった。
さて北山の色地図を眺め、宿泊場所として百井青少年村を目したが、これ又満員で振られ、寝具等を持ちたくないので、わが立命wv小屋なら毛布等が豊富にあり、それと決めた。
すれば、雲取山、天ヶ岳、天ヶ森、皆子山辺りが射程距離に入る。それ等をNETから拡大地図を用意する。それと以前より飯盒と薪で炊飯、味噌汁、梅干等中心の所謂中・高校山岳部時代の再現を考えていたので、この際試みる事にする。それにかなり歩きそうなので、足裏にべったりガムテープを張り、足指にワセリンを塗ってみる。実際にはこれ等がヒット、懐かしい山旅となった。
25日)今日は芹生峠を越え、芹生、そして雲取山南の二の谷に入るだけである。ゆっくり出発。叡山電車で貴船へ。バスがあって貴船神社の手前までは楽々と行ける。但し人と車の多さに閉口だ。何故人は混雑する観光地を目指すのか。滝谷の分かれになるとぱったり人が居なくなる。
芹生峠は覚悟はしていたが、想定以上に急坂で長い。一人黙々と登る。昔はこんなのは平地を歩くようなものだった。
美しい杉林を下ると、芹生の部落。茅葺こそトタン葺となったが、ひっそりとした様子は今も昔も変わらない。
芹生の部落 |
小屋を開け、毛布を床に敷き昼寝をする。涼しくてそのまま・・。夕刻いよいよ炊飯に掛かる。薪もかまどの近くに適当にあり、燃やせる筈だが、私は下手。いつも上手な人が廻りに居たのだが今回は苦労する。
3年程前亡くなったが益サンと言う元「わらじの会」のメンバーで、火を燃やすのが実に上手い男を思い出す。何しろ川に浸かった大きな流木でも燃やすのだ。それに彼は勿論沢登りが得意で、白神山地の赤石川とか北海道クワンナイ河等々、そして何と言っても、冠松次郎が、黒部の岩魚と双六谷の岩魚が行ききするという金木戸川、九郎右衛門沢を遡行した事が思い出される。双六小屋の小池潜氏が驚いた。
何とか飯盒のご飯が炊け、味噌汁、梅干、塩昆布本当に旨い。そして涼しいので早々に寝てしまう。気楽なものだ。
26日)目が開いたら7時半。11時間ぐらい寝た勘定。自然の中で寝るとこうなるのだ。昨夜のご飯の残りに水を入れ、おかいさん。お茶漬けのりを入れれば上出来だ。ヒマラヤトレッキングを思い出す。
何もせかされる事がないので、出発は10時。あっさり雲取山は諦め、一の谷経由寺山峠に向かう。
峠を下り途中、右側に昔懐かしい花背のスキー場跡がある。中学、高校時代何度来た事か、そして花背小学校、なんと閉校している。
車道を渡って一寸クランク、和佐谷に入り和佐谷峠を目指す。下部は何か施設があるらしく道は立派ながら、上部は伐採のよって道が消えている。昔は生活道でも今は利用がなければ道も消える。持ち前の読図力で峠へ。ここは花背峠より大見、尾越に通った道だ。一寸北に振って東方向、百井を目指す。下っていくと百井青少年村である。なかなかの設備。以前誰も居ない時、キャンプしたことがある。夏休み時分だけに盛況のようだ。時期を外して利用したいものだ。
百井は中学,高校山岳部時代,そして北山クラブ時代よく通過した。その昔、大火事があって殆ど燃えたことを思い出す。
神社の前で休んでいると暑さもあって、これから天が岳を越えて,尾根通しに鞍馬に向かう意欲減退。鞍馬街道百井別れを3時過ぎ通過するバスを思い出す。誰も相談する必要がない。あっさり百井別れの向かう。車道に拘わらず細くて登り降りがきつい。但し美林が続く。如何にも北山である。
友人の別荘があると聞いているがどの辺りか。そしてバス停。3時14分京都バス。懐かしい街道を、涼しくてうとうとしているうちに出町柳へ。改めて北山を自分なりに歩いてみようと思う事しきり。
百井峠付近 |