2016年2月10日水曜日

イタリア チェルベニア スキー行 10日間

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鎌田リーダーの下、10名が参加する。顔なじみの方々だ。

参加者:鎌田克則、松下昌弘、上嶌秀夫、倉橋和義、高鍬博、森村征男、西尾憲次、
    打越啓祐、打越夫人、中村 淳、

集合時間:20:30 北団体受付にて搭乗手続き 20:45 出国 13番ゲート
     21:45 カタール航空QR803便 搭乗
             座席:ヒマラヤ観光が、全便 右側窓際2列席を縦5列指定

関西空港発22:40 イタリア チェルヴェニア10日間のスキー旅行が始まる。

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 長距離移動の前半飛行コースは、関空→DOHA  8,317km、地球一周4万kmの5分の1余を一気に飛ぶ。23:30 機内食サービス、和食と赤ワインで寛ぐ。その後は睡眠時間。
7:25に室内灯が点灯、7:55 朝食サービス、コーヒーを飲んで目を覚ます。

DOHA着陸 10:16、飛行時間11時間36分の前半の移動が終わる。DOHAはペルシャ湾に突き出したカタール半島の東側にある。カタール航空の拠点で、世界へ150路線が就航している巨大な空港だ。

 ここで時差—8時間のイタリア時間に切り替える→ 日本の正午=イタリア 午前4

 QR127便MILANO行に乗り換え、8:55に離陸、後半の移動が始まる。二日かけての大移動だ。MILANO13:19、リムジンに乗り換えて、チェルヴェニアClub Med18:42到着する。

 CHECK-INの手続きを済ませ、スキー技術レベルを4a パラレルターンに登録する。

部屋番号のロッカーにスキー靴を運び、貸しスキーをセッティングして、準備完了。
食堂の一隅に日本人10名のJAPON席をセットしてもらい、全員揃って赤ワインで乾杯、
メニュウ豊富な料理を楽しみ、疲れを癒す。

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部屋の窓越しに巨大なマターホルンが聳え立つ。スイス側の鋭く尖った姿ではなく、奈良の大仏様が鎮座したような岩峰だ。

マッターホルンの全容

スキーを持って広場に集まり、全員揃ってClass-4aで出発する。100人乗りのゴンドラで頂上へ登り、滑降開始。コースはやや荒れているが、雪質は軽く、滑りやすい。

リフトUP,滑降を繰り返し、麓へ降りて正午となる。Club Medへ戻ってスキー道具をロッカーに仕舞い、靴を履き替えてラウンジへ行き、生ビール一杯飲んだ後、JAPONテーブルに座って赤ワインを飲みながら昼食を取る。
初日のこともあり、今日はここまでと、ゆっくり過ごすことにする。

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ユーリーンとナターシャ
 技術レベルを4b3に下げる。インストラクターは、イタリー人の31歳男性、ユーリーン。我々は鎌田、森村、打越夫妻、倉橋、中村、他ドイツ、ロシア、スイスの男女、ロシア人の中に一人日本語を話す美女がいて、インストラクターの話を我々に通訳してくれる。この美女をナターシャと呼ぶことにする。女性たちはスキーが上手で、ユーリーンの後をしっかり付いていく。麓へ降りて正午となり、別れてClub Medへ戻って食事する。
 毎度のことながら、まずビールを飲み、赤ワインで乾杯して料理を頂く。15:00 街へ出て、お土産を買う。

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赤ワインを飲み、昼食をとる
 気温-9°C、快晴、マッターホルンが全容を青空に突き出している。
滑降を楽しんだ後、クワッドに乗って山頂のレストランで昼食を取る。前菜、料理2品、赤ワイン、デザート、コーヒーを頂き、満腹だ。ユーリーンは赤ワインを水のように何倍も飲み、赤い顔をしている。
14:00 滑降開始。ユーリーンに前に伸び上がるスキー回転を教わる。これまでの回転は沈み込んで立ち上がるスキーだったが、これは前に伸び上がるだけで回転するのだ。
こんな気持ちのいい回転は初めてだ。まるで風に乗った凧のように気持ちがいい。

この技術を覚えて帰ろうと、何回も滑降を繰り返した。


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 昨夕、顔を見せた太陽だが、今朝は雲の中だ。小雪がちらついているが、ゲレンデの視界は良好だ。今日は、リフトを乗り継いで稜線まで登る。滑降は、ユーリーンに続いてナターシャ、女性たちが滑り、その後をスイス人夫妻、我々が続く。
 途中でコースの中央の吹き溜まりへ頭からダイビング、誰かがスキーを脱してくれて、助けてくれる。
疲れてきた証拠だ。次のリフト乗り場でユーリーンの許可を取り、単独で麓へ降る。

15:20 Club Medに戻り、シャワーを浴びる。さっぱりして後、チェルヴェニアの思い出として、売店でスキーシャツを買う。箱を開けてよく見ると美津濃製だった。

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ロシアの女性たち  左から二人目がナターシャ
 Class 4b3の最終日、窓越しにブリザードが吹き抜ける。9:10 リフトが始動、クワッドでPlan Maison へ登り、ここを基準にリフトでUPColle Supからの滑降を繰り返す。突如、太陽が顔を出し、マッターホルンが全容を現す。
15:00  Club Medに戻り、着替えて16:00 Class 4b3全員が食堂に集まり、ユーリーンに謝礼金を贈呈する。ここで5日間のカリキュラムが終了した。

スイス人夫妻












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 今回、ユーリーンに教えてもらった伸び上がるスキー回転を練習する。間違えなくこの技術は自分のものになった。
課題は、これを日本の雪で実行することだ。

3月の裏磐梯高原でのスキーで実行できれば、合格だ。

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 8:30 Luggage out Check out 9:19 出発、リムジンでMIRANO空港に向かう。
  11:40 空港着、One World Check in  荷物をPriority扱いとする。

ラウンジがなく、出発ゲートで時間を過ごす。
これから復路、二日間の長旅が始まる。QR128便 14:40 Priority Boarding 座席25K
Take off 15:20 DOHA23:15
出発ゲートへ移動し、搭乗時間を待つ。

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 01:10 QR802便の搭乗開始 A330型機 座席:22k
 DOHA 01:45
3割程の乗客で、ガラガラの便 2:05 機内食:和食サービス、その後は睡眠時間となり、各人自由に横になって寝ることができた。
 11:45 点灯、14:15 BrunchQR802便は雲の中を徐々に高度を下げて、関西空港の北から16:22着陸して、全員元気で無事に帰国した。


 82歳の老齢ながら、この楽しかったチェルヴェニアの想い出作りにご一緒できた皆様に感謝申し上げます。有難うございました。 中村 淳

2015年11月25日水曜日

烏谷山(1077m,北小松)  西邨顕達



比良の蓬莱山、打見山の北に位置し、烏谷山と記された1077mのピークは洛北高校の山岳部に入って以来、半世紀以上にわたって「からすだにやま」と呼ぶと信じてきた。ところが最近昭文社の地図「比良山系」を開いて、漢字で書かれた山名に「からとやま」と仮名が振ってあるのに気付いた。おそらく古くからある「からとやま」という山名に烏谷山という漢字を当てはめ、次に当てはめた漢字に引きずられて、元の名前が変わったのだろう。このような例はいくつもある。例えば、おはら→小原→大原→おおはら;しろうま→代馬→白馬→はくば。〔代掻きは苗を植える水田(しろ)を田植えに先立ち掻く(土を細かくする)こと。白馬山麓ではこの作業をする45月ころ、雪が解けて現れた山肌の一部が馬に見える。これを「代掻き馬」、略して「代馬」と呼んだ。〕
山名の論議はさておき、烏谷山は比良連峰の中ではそれほど特徴のある山ではない。高校1年生のとき、(1954年)4月末~5月初めの連休で奥の深谷・大橋小屋に泊まって、比良の山々を初めて歩いた。このとき、最高峰の武奈ヶ岳とそれに次ぐ蓬莱山に登ったのは確かだが、両者の中間に位置する烏谷山にも登ったかどうかは定かでない。(高校山岳部の同級生で、この時の大橋小屋泊まりの山行も一緒だった仲田道彦くんに最近確かめたところ、烏谷山は登ってないとのことであった)今回なぜこの山に登ったかというと、先輩が「北山50山」のリストにこの山を入れておいたからである。何年か前に北山50山再訪という目標を掲げたからにはこの山を外すわけにはいかない。
高校・大学時代に東側から比良に登るには、JR湖西線の前身にあたる江若鉄道を利用するのが普通であった。釈迦岳や武奈ヶ岳に登る場合は比良駅、蓬莱山や烏谷山に登る場合は近江木戸駅(現志賀駅)か蓬莱駅で下りた。そこから湖岸の松林を抜け、水田・耕作地帯を通って山麓に着く。この道中は緩い上りがだらだらと続き、退屈であった。その後に続く斜面についた道はどれも細く、急で、若い時でも相当しんどかった。しかし、現在ではこのアプローチは大変容易なものになっている。
敦賀と大津を結ぶ国道161号が昔からあったが、その南端部分30キロ余りが高架で高速で走行可能な道路(「地域高規格道路」)になっており、名神高速・京都東ICに直結している。比良の当たりは山麓を通るので、登り口までのアプローチは甚だ容易になっている。この道路は元来、161号のバイパスとして日本道路公団によって建設され有料であったが、嬉しいことに2005年から無料になり、完全に161号の一部になっている。
高速道路が通ることになったことよりも大きな変化は、比良の斜面に2本のロープウェイがかけられ、数分間で私たちを地上1000メートルの尾根の上まで運んでくれるようになったことだ。2本のうちの一つ、比良ロープウェイは釈迦岳の麓から北比良峠まで人々を運んだ。1962年に運行を開始し、多くの登山客・スキー客を運んだが、経営不振で2004年廃線になった。
もう1本は打見山の山麓から頂上(1100m)まで伸び琵琶湖バレイロープウェイで、1965年から運行を開始し、現在も営業している。これを使って打見山頂上まで一気に上がり、そこから尾根を縦走して烏谷山に至ることにした。帰りはもと来た道をたどることにする。これは考えられるかぎり最も楽なプランと考えられた。

月日・天気
2015105日(月) 薄曇り      
実はこの日より約3か月前(713日)にほぼ同じメンバーで行ったが途中で引き返した。

同行者
男性:伊佐太一、原田彦正、中川幸夫、松永平介、高橋敬治、西邨顕達、川瀬孝也、計7名。女性:野藤檀、平居玲子、竹内綾子、福田豊子、計4名。合計11名。
いずれも洛北高校での同級生。

行動記録
京都駅(8:56)→JR志賀駅9:36-46)→琵琶湖バレイロープウェイ・山麓駅(1002-30)→山頂駅→木戸峠(1045)→「大岩」(1144)→葛川越(1209)→烏谷山頂上(1244-1328)→葛川越(14:05)→「大岩」(16:28-33)→木戸峠(1515)→山頂駅(1550)→山麓駅→JR志賀駅(17:00-:09京都駅(17:49

ノート
JR志賀駅からロープウェイ山麓駅まで、琵琶湖バレイ提供の無料連絡バス(マイクロバス)に乗る。客の多い土日祝日は有料の江若交通バスが両駅間を走る。山麓駅周辺には広大な駐車場があり、この日は駐車している車はほとんど見当たらなかったが、スキーシーズンの休日はスキー客の車で埋め尽くされることだろう。
山頂駅を出てゴンドラが向かっていたに方向に2-3分歩くと打見山頂上に着く。そのすぐ右(東)には細長い草地が下に向かって伸びており、そこを下る。この草地は積雪期には「ジャイアント」と呼ばれる1000mのスキーコースになる。なかなかの急斜面で、下りるのはそう楽ではなかった。ここを上るのはもっとしんどいだろう。
草地を下りきったところから5分ほど東に行くと木戸峠に着く。ここから先はスキー場の施設がまったくない、山らしい雰囲気になった。ミズナラ、リョウブ、マンサクなどの落葉樹が目立つ。だが、紅/黄葉は進んでおらず、葉もほとんど落ちていない。傾斜のあまりない、気持ちのいい道を北に向かって進む。
1時間弱で「比良岳」の標識、そこから1-2分で「大岩」に着く。後でわかったのだが、この標識は本当の比良岳でなく、その東150mにある、本当の比良岳への道と縦走路の分岐点にある。「大岩」の名はどの地図でも見たことはなく、公式名称ではないが、多くの人がここで休むこと、および、道の傍らの大きな石に誰かが下手な字でこの名を書いていることから、やがてはこの名は定着するかもしれない。

比良南部地図。 朱色矢印:徒歩、緑色矢印:ゴンドラ



  木戸峠から先は林の中ばかり歩くので暗く、視界は広くなかった。ところが大岩に来ると視界が開け、前方にこれから行く烏谷山、右側(東側)には琵琶湖の湖水と島々が見える。この景色を見るために多くの人がここでしばし休む。7月に来たときはここで昼食を摂ったのち引き返した。今回は頂上目指してもうひとがんばりだ。
「大岩」から葛川越に向かって下りる。高度差90mでかなり急な下り。葛川越の少し手前に「大岩」よりはるかに大きな岩があった。葛川越から烏谷山までもかなり急で、高度差は120m。途中に蓬莱山、打見山、比良岳が素晴らしくよく見えるスポットがあった。こういうところがあるとほっとする。
烏谷山に登る斜面から見た蓬莱山、打見山、比良岳









「大岩」から見た烏谷山


















大体予定の時刻に烏谷山頂に着く。眺望は素晴らしい。今日は薄曇りだったが、北は釈迦岳、武奈ヶ岳、南は蓬莱山まで、比良の山のほとんどが見える。琵琶湖も対岸を含めてよく見えた。
帰途は来た道をそのまま引き返した。すでに1回(7月に来た部分は3回)通ったところだから苦労はなかった。ただ最後の行程である草地(ジャイアンツ・コース)の上りはしんどかった。 


琵琶湖の見える山頂での食事

    
男性より元気な女性方。とても喜寿には見えない