2012年3月28日水曜日

鎌田克則 鴨六卒


平成24年春の北山の会の会報が、3月中下旬に発行される予定でしたので、それに下記の原稿を載せるつもりでした。ところが、発行が4月にずれ込むことがわかりましたので、下記計画を先に再連絡します。
 

急連絡 残雪の大雪、旭岳、十勝方面に行こう!

会報にも載せておりますが、昨年の総会で、S21一中入,S27洛北卒の大先輩中村さんが、全く同期の北海道の安藤さんと一緒に、大雪旭岳に登りたいとおっしゃって、それに安藤さんも受けて立つとの返事があり、我々もボヤボヤしておれんとなったのが、この企画です。
 それに去る3月3日~4日太田さんの見舞いを兼ねて、丹後由良ケ岳に登った時、安藤さん、中村さんも来られて、日程他、下記の要領で概ね決まりました。
 大雪旭岳をアッタクした後は、十勝他、安藤さんの案内で、レンタカーを使って、春の北海道ならではの秘境を訪ねる予定です。滅多にないチャンスです。
 尚安藤さんの話では、春スキーも可とのことです。それに観光だけでも充分楽しめます。是非ご参加下さい。
 【基本計画】 
  
[日程]  
5月11日(金)午前発 千歳にて前日発のフエリー組みがあれば合流。レンタカーにて大雪旭岳山麓泊
   12日(土)ロープウエイを使った後、旭岳アタック(往復数時間)その後十勝方面移動。
   13日(日)十勝、美瑛、富良野手頃な山に登るか、散策。
   14日(月)予備日。天候により弾力的に動きます。勿論天候不良のときは、温泉他それなりの所へ。
   15日(火)午前中散策、午後千歳へ。夕刻発、夜帰京。フエリー組みは夜乗船
   時間があってフエリーを利用される方は、前後1日掛かります。

以上ラフな計画で、皆さんの希望も大いに取り込みたいと考えます。
費用は北海道往復飛行機運賃他が大きく影響します。
特に早く(理想は45日前)に予約すれば、大幅割引あり。他にも色々手の打ちようがあります。よって3月25日(日)までにお申込みいただければ、最大努力します。なお、一応3月25日(日)締切日としております。

[申込先] 
鎌田克則 573-1143 枚方市宇山町19-7

 FAX 06-6943-4580 携帯090-1483-2192
mail rac-kamada※tkcnf.or.jp 
TEL(日中)06-6943-4500、(夜)072-857-6344
 
※→@に変えてご連絡ください。   

2012年2月21日火曜日

2012年2月北山の会 蕨平と雨飾山 第一報             サポート隊 鎌田克則

まずは、写真を。
コメントも載せています。




18日朝現在蕨平オールスター

小谷温泉より北アルプス、右端八方尾根、中央五竜、左鹿島槍


昨年登頂した大渚山(1,566M)



天狗原山(2,197M)方面

大海川より雨飾山(1,963M)


⑥荻野パーティーテント地


2012年2月7日火曜日

文章マナーについての私見 四手井靖彦

作文の好きな人、嫌いな人、また、上手な人、下手な人があるかもしれない。登山家には文章をよくする人が多い。登山の報告を書いたり、エッセイをモノにする機会が多いから、と考えられる。天賦の才能もある程度の影響があるだろうが、努力すれば誰でもそれなりの文章が書ける。ただし、基本的な作法、マナーというものがある。
他人の文章をよく読むのが文章上達の一つの方法である。一般に、最も親しむ機会が多い文章は新聞記事である。新聞は国語審議会の答申を準用しているので、表記、表現法としては原則的に手本になる。むろん、新聞記事がすべてよい文章とは限らない。文体からしてなっておらん記事、意味不明の記事もある。新聞が多用する体言止めなども感心しない。
この記事はうまいとか、あるいはへたくそだとか、点数をつけて読むとよい。最近の流行りは短文形式である。新聞は内容ともに、批判的に読むものである。
さて、文書マナーを身につけて何を書くか。テーマを絞るのも一つの手である。何でもかんでも、総花的に書くと、テーマがぼける。目に触れたもの、現象面ばかり追うと小学生の遠足日記になる。心象風景を描く、何を感じたか、何を思ったかを書くと文章にふくらみが出る。登山記ではないが、海洋ものの「太平洋ひとりぼっち」(堀江健一)と、「リブ号の冒険」(小林則子)の違いがそれである。前者が航海日誌的な味気なさに支配されているのに比べ、後者は心象風景にあふれて読み応えがある。
長年文章を書いたり、他人の文章に朱を入れたりするのを生業としてきた立場から、基本的な文章マナー、用字用語について、以下に私見を交え若干のアドバイスをする。なお、「朱を入れる」は、毛筆時代に他人の文章を直すとき、朱を用いたことに由来する。
一応の約束事はあっても、文章はあくまで個性である。思想であり、人格である。最低の約束事だけに留意して、のびのびと書いてみよう。紀行文よし、エッセイ、創作もよし。会報にどんどん投稿してみよう。                   

句読点 高校野球の試合結果で「○○校にがい歌」という見出しがあった。「がい歌」は「凱歌」としたいところだが、「凱」が当用漢字にないので「がい歌」としたところはやむを得ない。だが、「○○校に」と「がい歌」の間に読点、あるいは「アキ」(余白)を入れなかったために「苦い歌」になってしまった。読点があるかないかで、意味がまったく違ってくる例である。
こういうのを、「弁慶がなー」と言う。読点の位置を間違えると、「弁慶が、長いなぎなたを…」が、「弁慶がなー、ぎなたを…」になるという戒めである。
朝日新聞の「用語の手引き」には、こんな例が出ている。「Aさんと同乗のBさんが死亡した」。AさんとBさんの2人が死んだのか、あるいはAさんの車に同乗していたBさんだけが死んだのか、筆者には自明であっても、読者にはわからない。「Aさんと、同乗のBさん」とすれば、2人とも死んだことになり、「Aさんと同乗のBさんが、」とすれば、Bさんだけ死んだことになる。事実関係がまったく違ってくる。
「用語の手引き」からもう1例。「私は昨日アメリカから帰った友人に会った」。「昨日」が私にかかるのか、友人にかかるかで意味が変わる。「昨日に帰ってきた友人」なのか、「昨日に私が会った友人」なのか。これも、筆者には自明で、読者にはわからない例である。

漢字の名詞と名詞がつながる場合、例えば、「連日登山三昧であった」と書くと、意味の取り違いはないが、表記上、「連日登山」という4字熟語になって恰好が悪い。「連日、登山三昧であった」とすと、体裁がよいし意味もよくわかる。
ひらがなの場合も、名詞と名詞がつながる場合、読点を入れた方がよい。例えば「あす、あさって」など。読み違いはなくても、やはり体裁が悪い。「ただし」や「しかし」、「でも」、「だが」などの接続詞の後は必ず読点を入れる。
読点をおろそかにしてはいけない。一般に、どこに挿入するかは基本的に筆者の気の向くままであるが、入れ過ぎということはない。むしろ、句読点が多いほど読みやすいし、文章の意味がわかりやすい。
句点には誤法というものがほとんどない。文末につける以外に使い方がないからである。ただ、会話体などでカギ括弧(「」)内の最後に、句点をダブらさない方がよい。「君を愛しているよ。」などである(句点の。とカギ括弧」がダブる)。有名作家などもやっている。禁じ手というわけではないが、不細工である。最近読んで、いま手元にある広瀬隆の「原子炉時限爆弾」の冒頭のページに「勿論私は…」という表現がある。「勿論」と「私は…」の間に読点があった方が読みやすい。

数字の表記 数字には和数字と洋数字(アラビア文字)がある。昔、時計の文字盤などに使われたローマ数字もあるが、これは普通の文章で使うことはあまりない。和数字と洋数字の用い方には原則というものがないようである。
しかし、どっちでもいいから適当に、というものでもない。縦書きと横書きでも事情が違う。数字を表すのに、横書きの場合は洋数字が便利である。一般の数字表記はすべてこれでよい。だが、以下のような場合は少し考えた方がよい。例えば「第二次世界大戦」という場合、「第2次世界大戦」とも書ける。「二世」、「三世」という言葉がある。「2世」、「3世」でもよさそうである。間違いではない。だが、「第二次世界大戦」とか「二世」、「三世」という言葉は、それ自身が一つの独立した日本語の名詞なのである。
「第100次世界大戦」という言葉はない。ローマ法王など十何世というケースもあるが、「100世」はないだろう。そこから導き出される結論は、どんな数字にでも置き換えられる場合に限って洋数字が使える、ということになる。「三度目の正直」は、一つの熟語であって、「四度目の正直」はない。だから、「3度目の正直」としてはいけないのである。
「パーティー3人が…」という場合、3人でも6人でも10人でもあり得る。だから「3人」でよい。あえて「三人」と表記することはない。縦書きの場合は別である。

漢字 漢字は当用漢字が原則だが、どれを使う、使わないかは偏に筆者の好みの問題である。梅棹忠夫さんはひらがな表記が好きだった。私なら漢字を使うところを、ひらがなで書いている。一般に、日本語文章はほどよい漢字、ひらがな交じりが美しく、読みやすいと思う。基準は当用漢字である。最小限、当用漢字は使った方がよい。そのうえで、それ以外でも、好きな漢字は使えばよい。当用漢字であっても、嫌いな漢字、使いたくない漢字もある。それが、その人の文章の個性に反映する。漢字にはそれぞれ味がある。

「いろいろな」という表現がある。関西風には「いろんな」と言う。「さまざまな」と同意語である。これを「色色」や「色々」と書く人がいる。印刷されたものでも目にする。やめてほしい。不細工である。恰好悪い。広辞苑には「色色」は「さまざまな色」と書いてある。色はカラーのことなのだ。角川の漢和辞典には「色色」の読みとしては「しょくしょく」しか書いてない。さまざまなという意味で「色色」や「色々」と書くのは間違いではないか。

人数表記 「○名」と表記する人が多い。間違いではないが、「○人」とするべきである。「○名」は役所言葉である。警察や消防の用語である。役所の文章も恐らく同じであろう。それと、旅館などで商売上に使われる。「○名様、ご到着」などと言う。
普通の話し言葉で、「○名で登った」とは言わない。「○人で登った」というのが現代用語の常識だろう。新聞用語にも「○名」はない。明治時代に言文一致運動が始まって、文語体が追放された。二葉亭四迷らが先覚者だったという。私らの世代はもう、文語体は読めない。森鴎外の「舞姫」には辟易した。
「○名」と「○人」の表記は直接、言文一致運動とは関係ないが、現代口語文の中で言と文が一致していない一つの例である。文章を書くときに、何か力んだり、緊張したりして、つい、「○名」になってしまうのかもしれないが、この用語には抵抗を感ずる。できれば「○人」に統一してほしい。

 「…から」と「…より」 「…から」とするべきところを、「…より」を使用する人が多い。「用語の手引き」にこんな例が出ている。「紫式部は子どものころより利発だった」。この文は紫式部の「現在と子どものころ」を比較しているようにも受け取れる」。子どものころより、いまの方が利発である、という意味に受け取られる恐れがあるのだ。本来の意味は、「いまも利発だが、子どもの時分から利発だった」のである。「子どもころから」とするべきなのだ。だから、朝日は場所・時間の起点を示す場合の助詞は「から」を使い、「より」は使用しない、と取り決めている。
「…より」は、何か力んだような感じがする。朝日の取り決めを押し売りする気はないが、言文一致の趣旨からも「…から」の方が自然である。話し言葉で「…より」を使う人はいないだろう。作文を意識して力む必要はない。

時制 最も気になるのは、時制を無視した文章である。「詩歌は静かなるところにて思ひ起こしたる感動なり」と藤村は書いている。登山の紀行、報告は下山して時間が経ってから、静かに思い起こして書く。
ところが、書いていると過去の世界に戻ってしまい。「きょうの行程は…」などと書く。「あすは…」も出てくる。時制を全く無視している。過去の時制に「きょう」はない。「この日は」とか「当日は」とするべきである。「あすは」は「翌日は」としなければならない。ただ、文中の会話体ならよい。「『きょうは、ええ天気やな』 と、○○が言った」といった場合は「きょう」でよい。過去の時点として時制に矛盾はない。

年代表記 元号を用いる人が多いが、やめてほしい。元号は天皇制と関係がある。役所とNHKが頑なに元号にこだわるのはそのためである。NHKは国に首根っこを押さえられているから、元号を止められない。役所も政府と政権政党には逆らえない。だが、天皇制と無関係であっても、二重表記はややこしい。京都市は近年、西暦表記も採用するようになった。コンピューターの関係で、西暦の方が都合がよいらしい。当然である。
役所とは全く関係のない山岳会が、なぜ、元号にこだわるのか理解ができない。私など、元号で言われると、いつのことかわからない。はっきり言って、元号など国際的にはまったく通用しない前世紀の遺物である。ボーダーレス、グローバル時代と言われる昨今、前世紀の遺物とは決別しようではないか。若者は未来に生きよう!
過去の時限で、元号の方がわかりやすい場合がないとは言えない。そのときは、カッコ内で元号を併記するとよい。例えば、2011(平成23)年、などである。賢明な諸氏は早くからこの方式を採用している。
「年度」もほとんど意味のない役所用語である。予算が年度別になっていることから、役所では各種行事を年度別に分ける。1~3月は新年とダブって混乱する。役所以外では、年度表記もやめた方がよい。意味がないし、わかりにくい。グレゴリオ暦に従った通年表記でよいのではないか。

ダブリ表現 入水(じゅすい)という言葉がある。水に入って死ぬことである。入水そのものに自死の意味があるのに、「入水自殺」といったダブリ用語が新聞にもよく登場する。こんなのを「馬から落ちて、落馬して」と言う。「女の婦人に笑われて、切腹しよか、腹切ろか」と続く。誠に恰好が悪い。
「日本語『間違い』辞典」(ワニ文庫)には、こんな例が出ている。「高校野球は炎天下の下で行われる」。「下」は「もと」なのである。もう一つ、「約1時間ほど」。「約」と「ほど」は同意語である。ダブリの例として比喩的に持ち出されるのは「大豆豆」や「回虫虫」などがある。筆者は「今現在」という、よく耳にする表現にも抵抗を感じている。「現在」とは「今」のことなのだ。
NHKが好んで使う「非常に激しい雨」もダブリ表現の典型である。「激しい」は最上級の表現である。それに「非常に」をつける必要はない。「非常に強い」なら、抵抗がない。NHKの言語感覚は、疑問を感ずるものが多い。
ダブリ表現ではないが、よく見かける表記上の間違いは「享年○歳」である。「歳」が不要である。「享年」は天から授かって生きた年数のことで、没した年齢のことではない。生きた年数と死んだ年齢は数字としては同じだが、言葉の意味が違う。従って、○の部分は数字だけでよい。例えば、90歳で死んだとしたら、「享年90」とする。
最近、よく耳にする話し言葉で気になるのは、「…しにくい」と「…し辛い」の混同である。両者は意味が違うから、どちらを用いてもよいというものではない。「…しにくい」は物理的困難さを意味し、「…し辛い」は精神的、内面的要素があるように思う。テレビに出てくるアホ文化人たちは、「…しにくい」と言うべきところをほとんど「…し辛い」と言っている。
最近はあまり見かけなくなったが、一時、「酷く感動した」とか「酷く美しい」などと言う表現が流行った。逆の意味に使うことで新鮮味を出したつもりだろうが、「酷い」は「むごい」などと同じ意味で、肯定的な意味で用いるべきではない。

「つなげる」 いま、話し言葉でも書き言葉でも、最も気になって腹立たしい表現は「つなげる」である。私らの若いころはこんな表現はなかった。ごく最近流行り出して、テレビも新聞もオール「つなげる」が席捲するようになった。かつては「つなぐ」、「つなぎ」であった。どういう理由で「つなげる」なんて変な言葉がのさばりだしたのか。文法上のことはわからないが、「曲がり角の日本語」(岩波新書)には以下のように書くにとどまっている。
現在すでに「つながる」に対しての他動詞は何かというと、「つなぐ」だと言う人がほとんどいなくなりました。「つなげる」だと言います。本来は「つなぐ」でした。…本来の「つなぐ」に対して「つなげる」という形がどうしてでてきたのでしょうか。

面白く、楽しく さて、基本的マナーを身につけて何か文章を書いてみよう。山登りの報告、想い出、エッセイでもよい。テーマによっては必ずしも当てはまらないが、文章は読んで楽しく、「ああ、おもろかった」と思ってもらえるのが一番よいと思う。どこかに意見、主張があってもよい。先に述べたように、文章は個性であり、思想であり、人格である。
新聞社には「デスク」という職制があり、原稿に朱を入れる。社のコードに照らすというのが本来の役割だが、読みやすい、わかりやすい文章に直す。むろん、誤字、誤用も正す。新聞でなくても、公表する文章は必ず筆者以外の目を通すべきである。筆者の思い違いなどもある。会報などは編集者にそれを委ねていると考えてよいだろう。
何度も推敲する。文章は読むたびに直したくなる。何度も手直しするとよい。これでよし、と言う段階で出稿する。そして、編集者の目を通して朱の入った原稿を一度、筆者に返してもらう。納得して改めてゴーサインを出す、という手順を踏むのが好ましい。そのためには時間が必要である。ものを書く場合、もう一つ大事なのは、締め切りを厳守することである。

2012年1月31日火曜日

志賀高原報告、その他諸々 鎌田 克則

1)志賀高原報告 1月27日~2月1日川井、上嶋、倉橋、四手井、鎌田以上5名参加(四手井、鎌田は1/30帰り)
今年はなかなかの豪雪,それに低温、なにしろ27日、28日は-14度~-17度、それに風が吹けば、寒くて手足がちぎれそう。鉢山ほか少々ツアーの予定が、豪雪、低温で、ものの50mも進めず、転倒してもなかなか起きあがれず、スキーも雪中より見付けるのも大変と言った状態、半日で引き上げる。
30日も午前中は曇りで低温、厳しかったが、午後から好天、あのジャイアント他、かねがね恐れている急坂を、新雪蹴飛ばして豪快に滑った。その日はなんとチュートンさんの81歳の誕生日、それで来春はウエンゲン(スイス グリンデルワルトのユングフラウ寄りの素晴らしいスキーリゾート地)に行くと宣言された。概ね2013・2・2()発~10or11日帰り、カタール航空利用、三食、飲み物、リフト券、インストラクターall込み、26万円程度か。鬼が笑いますが、今年行こうかと考えていたので、概ねその計画流用、鎌田がお世話させていただきます。ユーローの安い時期に、ヨーロッパスキーが存分に楽しめますよ。
)蕨平参加者 上嶋、高鍬、鎌田、三人は2/17午後京都、車で出発、(もう1名乗車可)、17日19日信濃荘泊、18日は雨飾り行きに付き、テントまたは山田旅館泊、万一それが天候如何によって1日伸びる可能性あり。
予定通りなれば、19日信濃荘に泊まり、20日()午後車で帰京予定。
荻野さんも同じく17日、東京より高速バスで来られ、前三人と同じ行動、但し帰りは、蕨平に22日ごろまで滞在される予定。
四手井さんは、雨飾り同行に付いて人数等の関係で不参加とのことです。
尚、雨飾、テント組み3人、山田旅館泊まり私一人、誰かご一緒しませんか。特に磯垣さん。黒田さん、あのテレマークで一丁どうですか。
以上と理解し、チュートンさんに伝えてあります。誤っておれば、至急訂正ください。
その他蕨平に参加される方は、2月2日以降に早急に、チュートンさんに滞在日とアクセス手段を直接連絡してください。
)3月3日の由良ケ岳とカニの話、 北海道まで聞こえて安藤さんまで来られる由、私は個人申告最盛期なれど、何とかせねばなるまいと考えています。どうなるか解りませんが、どちらか、両方か、見通し立ち次第連絡させていただきます。
私としては、そこで北海道計画、5月GW前か後か、どんな日程か、参加者がどのくらいか、の凡そを決めたいと思います。原則は中村さんと安藤さんのご意見に従うつもりですので、出来ればそれまでに、お二人で話し合って大筋を決めて頂ければ、非常に有り難いです。そして大筋が決まり、それを先に知らせて貰えば、詳細を詰めて、計画案として、当日持参も考えています。もしGW前の4月ともなれば,日も少なく、航空券も日があれば、安く買えます。(船もありますが)
 所で、何とカニと聞こえただけでこれ程反響があるとは!!私はブログに投稿は無いし、ほんとに見てもうてんのか半信半疑でしたが、メーリングリストとやら、大変な伝達力ですねえ。安心しました。これからはメーリングリストに載せれば、少なくとも北山の会の主力メンバーには伝わったものと理解します。
4)会報の件、四手井さんが3月一杯で会報作成に専心しておられます。
特に今年は小屋特集ですので、長くとも、短くとも小屋にまつわる思い出等出稿おねがいします。なるべくMAILで送ってあげると助かるそうです。
宜しくお願いします。


2012年1月19日木曜日

BSプレミアム グレートサミッツ モンゴル最高峰, フィテン峰(4373m)のTVをご覧下さい。

鎌田 克則です。

昨秋、シルクロード、特にタクラマカン砂漠を半周した後、砂漠を縦断しました。なかなか異郷の旅心を満たしてくれましたが、そこで新疆ウイグル地区の案内の本(中国版・日本語訳)を手に入れました。その中の写真が見事で、特にウルムチの北、アルタイ山脈・カナス自然保護区辺りに魅かれました。何と言っても大草原の向こうに白い峰々が美しく、それに神秘の湖といわれるカナス湖の紅葉の美しさ、今秋はここに行くべし、と考えるに到りました。
 所でその辺りを調べている内に、どうしても気になる山があるのです。アルタイ山脈の最高峰(ロシア、モンゴル、中国と三国国境の山)で、中国名は友誼峰(名前が良い)、またはクイトウン峰、(4356m or4374m)それが余程眺めが良いらしく、あちこち写真に出てくるのです。それ程尖った様子もなく、高さも我々の梃子に合わない程でもない。一発登れないかと調べ始めましたが、何と全く登頂記録が無い。わくわくしてヒマラヤ観光を通して中国側に調べてもらったら、なんだか1940年代にロシア登山隊員30名が行方不明になったとか、日本ヒマラヤ協会が2000年前後に失敗した。その後中国隊が登頂したが、しかし記録がないとか,訳の解らない山なのです。
それでほぼ諦めていたら、何とNHK,BSプレミアムで放映される、グレートサミッツの「モンゴル最高峰フィテン(4373m)」が、その位置、高さから私の目指す?山らしいのです。
それが何とこの121()1900202923()16001729で放映されることが、たまたまNHKを見ていて解ったのです。
運命的だと思いませんか。もう黙っておれない。と言うことでお知らせします。
先ずは見てください。そして是非登りたい?せめて眺めたいという人は、9月中旬の紅葉の盛りに、私は行きますので、声を掛けてください。多分中国側からアプローチの予定ですが、TVの内容によっては、モンゴルからも検討します。先ずはご覧を!!              
追伸 尚、6月初め、アンコール遺跡、ベトナム縦断も考えております。ご一考を。
 

2012年1月16日月曜日

今シーズン雪山・スキー報告第一報 鎌田克則

1)     1/21~23  蔵王スキー 毎年この頃蔵王で初滑りを行う事にして居る。
 もうゲレンデスキーには余り興味はないが、やはりシーズン初めは雪も少ないし、且つ山スキーに備えて、やはり板と雪に馴れておく必要がある。
この頃、雪があって、アクセスが楽で、廉価で行けるところとなると、日本中捜して先ず蔵王が一番である。簡単な話が、朝伊丹から飛んで仙台、直結バスで11時半には宿に到着、簡単に食事を取って、12時半には宿前より滑り出し、ゴンドラ一基で、蔵王の上部に達する。ゲレンデはガラガラ、広いし思い切り一日分滑れる。今年なんかあのモンスターもほぼ出来上がっていた。
帰りも3時ごろ宿を出て,同ルートで、9時ごろ家に帰れる。今回は2泊3日だったが、3日間で充分堪能できた。しかも交通、宿一切入れて4万円程である。この頃滑れるのは、志賀高原あたりだが、時間、コストを考えると断然有利です。何年も続けているので、一寸したノウハウがあるので、関心があれば、私に問い合わせてください。


2)1月3日 湖北余呉 栃の木峠付近、山スキー  このブログに、正月にたるんだ体を雪に晒しませんかと呼びかけました。ところが3人よりスノウシュウもあるし是非行きたいが、色々事情で行けぬとの連絡を頂きましたが、肝心行くと言う人は一人もありません。止む無く娘婿、娘、家内に湖北の雪を見せてやるとたらかして、車で木の本より、北国街道の突き当たり、余呉高原スキー場入り口付近まで送ってもらう。後は湖北を観光して2時半に迎えに来る様に。
先ず携帯TELテスト(以外によく通じた)、スキーにシール、ビーコン,GPS、無線等フルセット、直ぐ東のベルグ余呉スキー場(何年も休業中)の車道を登りだす。道幅は広く適度の斜度の車道が栃の木峠稜線より少し東南より南下する高原状(スキー場)の尾根まで通じている。快適なシール登行1時間強、元スキー場部分に達する。雪は1.5mぐらいあろうか。立派なリフト設備や建物が淋しく建って居る。正しく兵どもの夢のあと。これに投資した人には気の毒な話だ。
建物の陰で熱い紅茶に粗末なパン、久しぶりの雪山だけに美味しい。
さて高原状の尾根を北上し、緩やかなピークを越える頃から藪が出だす。スキー場を抜けたのであろう。途中から電話線の電柱が併行する。緩い下りもシールが滑り、少々の凹凸も気にせず進む事小一時間、先に見える高圧線の位置から、栃の木峠より音波山に向かう稜線に達した。念のためGPSでも確認。早速娘婿に電話、予定通りの迎えを頼み、元のシュプールを一目散に戻る。
スキー場から下る地点でシールを外す。昨夜念入りに掛けたWAXが威力発揮。あれよあれよと言う間に、広幅の車道をジグザグに殆どノンストップ、俺こんなに上手かったかなあと思う程、要は雪が適度に固まって、圧雪状態と変わらないのだ。予定より15分早く下車場所に到着。
考えれば、長いリフト一本分ぐらいの登り下りなのに、何故か大満足。ここが山スキーの止められないところです。
帰りは海津大崎を廻り、白髭神社にお参り、夕食は少々高くついたが、なかなかバラエティーに富んだ一日でした。 
3)新穂、菅平,鹿沢高原、スキー行脚  昔から鹿沢高原の国民休暇村に泊まって、あの辺りを滑ってみたかった。
昨年末、友人で温泉好きの軟弱スキーヤー等より、宿が取れたと連絡あり、少なくとも四阿山の隣の根子岳、湯の丸山に登らしてもらう条件で参加。一日目は新穂の温泉。翌朝一寸西穂にもよろめいたが、天気悪く平湯トンネル抜けて、高速で長野経由菅平に向かう。ダボスがどんな所か知らないが、それとよく似ているとか、要はだだつ広い、あちこちスキー場のある所だ。
私は根子岳(2207m)偵察に出掛ける。友人たちは、近所の温泉でゆっくりすると言う。あちこちリフトが多くて、根子岳に近いリフトを捜し乗ってみる。地図で予想していたが、想像以上に緩斜面である。
リフトの最終地点からも緩斜面が続く。要は高い方向に進めば勝手に頂上に着く感だ。頂上もそれ程遠くないと見当つけて、戻る事にする。下りは殆ど直滑降に近い。友人と合流、鹿沢の国民休暇村に向かう。鳥居峠付近で、夕焼けに染まる北アルプスを見る。
翌朝再度ダボススキー場へ。友人たちは、ゲレンデで、私は1時ごろには戻ると云って根子岳に、昨日のルートの先を行く。所々雪が少なくて笹が出ている。しかし大勢登ったシュプールを伝うのだから支障なし。あのゲレンデでは斜度不足で友人たちから不満の出るのは見えている。飲まず食わずで必死に登る.登り2時間と踏んだが、頂上近くと思ったところよりもっと先に頂上が見える。その頃より森林地帯となり進み難い。下山者より頂上までスキーでいけるが、笹の上の雪で滑りにくいと聞く。
やっと根子岳頂上(2207m)。可愛らしい祠がある。見晴らしは一寸曇りで良くない。しかし風が無いのが何よりだ。多分高校スキー部員と思われる若い連中が、大勢牧場の方から上ってくる。皆元気で立派な装備である。

頂上で八方写真を撮り、シールを外し、早々に滑り出す。下りになって解った事は、一寸シュプールから外れて新雪に突っ込むと、笹の中にスキーが入り、動きが取れないのだ。それに岩も出ている。案内書に頂上手前でスキーをデポするように書いてあった理由が解る。
既に予定より遅れ、且つ人を待たせているので焦る。それに飲まず食わずが悪かった。足やあちこちが急に釣る感じ。疲れも出て体に粘りが出ない。大転倒を3度ほどやる。自信喪失。そこに又又若い連中にあっさり追い抜いて行く。このベテランを何と思っているのか。
取敢えず、少々腹に入れ、格好構わず一目散に下る。ゲレンデが見えたところからは条件良し。一時間遅れの詫びの連絡を入れて集合場所へ。友人たちは初めから間に合うとは思っていなかった様だ。
それにしても歳を考えずに焦って登ったのが悪かった。特にシール登行はゆっくりが大原則。反省することしきり。
帰りは浅間を見に行く。休暇村でビユウポイントを聞いてきた場所に行く。さすが美しい。噴火が不規則で、結構変化があるのだ。昔ジャワ島の最高峰、スメルという火山に登ったとき、目の前で音も無く大噴火をしたことを思い出す。

正面の四阿(アズマ)山、その右は白根より志賀高原の山並み、その右は日光、尾瀬方面であろう。白くて雄大な風景である。一寸こんな平らな雄大さは、むしろ北海道か大陸的の風景だ。

翌日湯の丸山方面に向かう。ここが彼の有名な「雪山賛歌」の発祥の地だ。初め知ったのは湯の丸スキー場の上部にあった看板だった。休暇村の人の聞くと記念碑があると言う。人に聞きながら捜すと、何と湯の丸登山口で、手前に寂れた旧鹿沢温泉紅葉館がある。
記念碑には、雪山賛歌の一番と最後が銅版上に書かれている。隣にその由来も詳しく書かれていた。要は大正15年1月、京都帝国大学山岳部が鹿沢温泉にスキー合宿をした。その終了後新鹿沢温泉に泊まった西堀栄三郎、四手井綱彦(当会靖彦さんの父上)酒戸弥次郎、渡辺斬の4人が吹雪に閉じ込められ、退屈紛れに、いとしのクレメンタインのメロデイーに、上の句、下の句と持ち寄って作り上げたと言う。西堀栄三郎さんの著書に、「薄暗い部屋で,四手井君が、一句一句出来るはしから書き止めたのを思い出す」と書かれているそうです。違和感を覚えるのは、我々はこれを三高山岳部の部歌と思っていることです。帰ってネットで調べたら、戦後京大山岳部員がこの歌を寮歌に加え、それが一般にも歌われ始め、そして三高山岳部で歌い継がれ、いつの間にか三高校歌集に組み入れられたのが原因の様です。面白いのは、作者不詳となっていたのを、桑原武夫さんが、作詞は西堀だと著作権登録をされ、この印税は京大山岳部の活動の大きな資金源になったと言う。
しかし残念な事に、出掛ける前、事務所の若い女性に聞いてみた。「雪山賛歌って知ってるか。」「知りません」「ほらダークダックスが歌ってたやんか」「ダークダックスなんて聞いたこともありません」と云うぐらい、もう昔の話なのです。又誰かが歌ってくれない事には消えてしまいます。
さてその湯の丸山、目前に丸いドーム状の山が見えるのだが、一見しただけで藪だらけ、雪は1m前後と思われるが、その程度では藪は埋まらないのだ。考えれば、昔は多雪で閉じ込められる程だったのだ。昨日の事もあるので、あっさり登るのを諦める。
  所でもう一つ面白い事がある。道路の写真を見てください。メロデイロードと書かれています。
ここは草津温泉や、尾瀬に行くとき、時折通るのだが、道路に仕掛けがある。今は雪があって無理だが、無雪期に自速四〇kmで走ると、あの雪山賛歌が聞こえるのだ。昨年6月通った時、タイヤがウーウー鳴ったが何のことやら解らなかったが、草津温泉近くなって、又ウーウー言うので耳を澄ますと、なんと「草津よいとこ一度はおいで~」と聞こえるのだ。今度湯の丸峠を通るときには耳を済ませたいものだ。
天気もパッとせず、小諸を経由、八ケ岳を散策、諏訪湖に泊まり、翌朝諏訪神社にお参り、ゆっくり帰阪した。山は一発だったが、温泉を堪能した。たまにはこんな旅も良い。

2011年12月28日水曜日

正月でふやけた体を雪にさらして引き締めませんか!

鎌田克則です。

今年の年末は大雪ですね。特に湖北は。さて正月の2日か3日午後から車で出掛け、余呉湖周辺の民宿辺りに泊まり、翌朝、北国街道栃の木峠付近のスキー場に車をデポ、栃の木峠東方向稜線~ベルグ余呉スキー場(休業中)~音波山(872,6m)~下谷山(971m)を往復しようかと思っています。(余呉トレイルの主稜です)相当豪雪(現在190cm)でワカンでは無理、スキーも細かい凹凸で多分不向き、スノーシューが有効かと思われます。
要は正月でふやけた体を引き締めるのに最適です。一発行こうという方居られませんか!!2~3人なら私の車で、それ以上ならどなたか車をお願いします。
詳細は、参加希望者の希望を聞いてきめます。但しある程度好天が条件です。
尚申し込みは、私がこのネットを30日以降見ることが出来ませんので、私の携帯か自宅にご連絡ください。ではお待ちしてます。